産経新聞に山崎正和氏の死亡記事。
産経新聞2020年8月22日(土曜日)の一面。
「山崎正和さんが19日、悪性中皮腫のため、兵庫県内の病院で死去した。
86歳。葬儀は近親者で行った。・・産経新聞『正論』が始まった
昭和48年からの執筆メンバー。・・・」
23面に坂本英彰氏による評伝があり、
一読目が覚めるような指摘がさりげなく書かれている。
これは、引用しておかなきゃね。
「・・・
令和元年秋、高齢者の孤独死が国内外で社会問題化する現象を
どう見るかという『孤独』をテーマにした本紙のインタビューに、
山崎さんは、内科医だった弟が退職後に孤独死していたことを明かした。
『自ら望んだ1人暮らしで孤独に死ぬことがいけないことか』。
山崎さん自身、取材の2週間ほど前に妻を亡くして1人になっていた
にもかかわらず、孤独を忌む風潮に反発した。
著書『柔らかい個人主義の誕生』や『社交する人間』で、
地縁や血縁から解放された現代人の心と行動を考察。
他人に束縛されない孤独は否定的なものではなく、むしろ、
『近代社会が獲得した成果』なのだとの考えを持っていた。」
はい。以前『社交する人間』は読んだことがあったのですが、
わたしには、あとあとちっとも、印象には残りませんでした。
こちらの新聞評伝のほうが鮮やかな印象をもちます。
評伝はつづきます。さらに、引用することに。
「素地は少年期を送った旧満州にある。コスモポリタン的な
感性を身につけ、引き揚げてからも長く桜が好きではなかったという。
高校生になる前に共産党に入ったが、
京大に入るころには暴力路線に幻滅していた。
大衆の付和雷同性と同じほど、
エリートのむき出しの権力志向を嫌った。
関西大助教授だったころに、当時の佐藤栄作首相の
秘書官から声がかかり、首相の私的諮問メンバーに加わった。
学生運動の時代だ。東大の入試中止という社会に大きなショックを
与える提案をしたグループにいたことを後に、痛快な思い出として
語っている。
東京に移らず関西にとどまった。権力の中枢に触れても
どっぷりつからない、新幹線で約3時間という距離間を
気に入っていたからだ。大阪では一教員として学生と向き合い、
東京では首相官邸に迎えられるという転換も楽しんだ。
・・・司馬遼太郎や梅棹忠夫ら多くの文化人と交流した。
平成30年の文化勲章の受章に際し、
『この道一筋』ではない自身の受章は、
社会や文化、伝統の転換を象徴しているとした。
『思考すること、書くことは習慣です』とも語った。」
はい。ほぼ評伝の全文を引用してしまいました。
山崎さんの『思考すること、書くこと‥』を、ここで
伝えようとする評伝となっておりました。
「あたりさわりのないこと」は、書かれていない評伝なので、
あとあとまで印象に残りそうです。