和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

本棚の隅で埃をかぶって。

2020-08-15 | 古典
はい。夢をみようと本を買う、
けれども、買っても読まない。
夢は夢のまま本棚に眠ってる。

たまに、本棚からとりだす。今回取り出したのは、
増谷文雄訳「正法眼蔵①全訳注」(講談社学術文庫)
全8巻で、その一巻目。文庫本には息子さんの
増谷松樹氏がはじまりに文を載せておりました。
「2004年1月カナダにて」とあります。
うん。そこだけを引用してみます。
父親がカナダに訪ねてくる場面からはじまります。

「・・・はるばる訪ねてきた。私は驚いた。
父の生活の中心は著述で、仕事に行く以外には、
机の前に正座して原稿を書いているもの。そして、
それは絶対に犯しがたいもの、と思っていたからである。

その時、父は76歳、畢生の力をふりしぼった
『現代語訳 正法眼蔵』を完成したところであった。
・・・多くの解説書や研究書があるが、最後の仕事は
現代語訳であった。仏教を現代人のものとすることを、
課題としていたからである。・・・・・

散歩に行くと、母とふたりで颯爽と歩いた。・・・・
そして、毎日のようにうった碁でも、めったに勝てなかった。
父は心身ともに充実しきっているように見えた。
さかんにアクメという言葉を使った。
人生の最盛期という意味であるという。人には、それぞれあって、
若いときにアクメを迎えるものも、老いてからアクメを迎えるものも
いると、しきりに話した。・・・・・


父は1987年に他界した。その後、『(正法)眼蔵』を
開いてみたことはなかった。父の『眼蔵』は、
本棚の隅で埃をかぶっていた。それを、再び読んでみた。
みるみるうちに、私の心の風景が変わっていった。
人生をさすらっているような気持ちが消え、
まるで放蕩息子が父の家に戻ってきたかのように、
心が安らぐのを覚えた。
どうやら、私が好きであろうと嫌いであろうと、
そんなことを越えて、私の精神は否応なく
『眼蔵』の世界につながれているらしい。

・・・・・実際に読んでみると、
道元の文は、ひらがなも多く、明晰で解りやすい。
『仏道をならふといふは、自己をならふなり』(現成公案)
これは、仏道の目的を一言のもとに定義した言葉である。また、
『山をのぼり河をわたりし時にわれありき』(有時)
・・・・」

はい。この講談社学術文庫『正法眼蔵(一)』には
ちょうど、現成公案も有時もはいっております。
コメント
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