和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

それにもかかわらず。

2020-08-16 | 古典
講談社学術文庫・「正法眼蔵(一)」増谷文雄全訳注。
はい。いつか読もうと思っていたのに、
いつまでも、本棚で埃をかぶっておりました。
あらためて、スタートラインにもどって、
読み始めたいと思う。

さて、この文庫「正法眼蔵(一)」には、
最初に、息子さん増谷松樹氏の「学術文庫版刊行に当たって」
という6頁の文。また最後には増谷文雄氏の「道元を見つめて」
とあと一文が載ってるのでした。
うん。あらためて「道元を見つめて」を読んでみる。
そのはじまりは

「わたしは浄土宗の寺に生まれたものであるから、
従来の宗見にしたがっていうなれば、道元禅師、
もしくはその流れを汲む曹洞宗門に対しては、
明らかに門外の漢である。だが、門外にありながらも、
わたしはたえず道元禅師を見つめてきた。
しかるに、ふと眼を挙げて、今日の道元研究の様子を見れば、
そこではすでに、遠く宗門の枠を越えて、広くかつ深い、
追求もしくは傾倒が行われていることが知られる。・・・・」

すこし端折っていきます。

「わたしが初めて道元禅師の著作に触れたのは、・・・
大学の学生であった最後の年の夏のことであった。
その頃はまだ岩波文庫本の『正法眼蔵』などもない時代のこと
であったので、同じ市(小倉)の曹洞宗の寺にいって
『承陽大師全集』という古めかしい本を拝借し、
一夏かかって一処懸命に『正法眼蔵』を読み通した。
真夏のことであるので汗がしきりと背中を流れ下る。
それを今でも印象深く憶えている。だが、その時に読んだ
『正法眼蔵』は、わたしにとっては全く理解できないもの、
わたしの思考の歯にはとても咀嚼しがたいものであったことを
告白しなければならない。それにもかかわらず、
なにかしら強くその著作にひきつけられて、
それから今日にいたるまで、わたしはその著作を中心として
道元禅師を見つめてきた。本年わたしは71歳であるから、
それから指おり数えてみると、なんと48年になるのである。」

はい。この文庫には各巻のはじめにまず「開題」をおき
増谷文雄氏が、その巻の紹介をしてから短く区切って
原文。現代語訳。注解の順ですすみます。
「開題」に導かれて、わたしなど各巻の開題だけ
ひらいて見ておりました。
それっきり、本棚にしまい込んでいたのでした。
『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』へ
チャレンジの再スタート。

はい。再スタートをくりかえすとき、
自分におまじないの詩が浮かびます。

      紙風船   黒田三郎

  落ちて来たら
  今度は
  もっと高く
  もっともっと高く
  何度でも
  打ち上げよう

  美しい
  願いごとのように


コメント
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