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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

秋野不矩とインド。

2020-08-13 | 京都
「ほんやら洞と歩く京都いきあたりばったり」
(淡交社・2000年)は中村勝の文・甲斐扶佐義の写真。
町のさりげない人たちの写真にまじって、
今出川寺町付近を散歩する桑原武夫(1978年撮影)。
文は「桑原武夫さんの散歩自慢は・・・・・
自宅の近くをお孫さんと散歩する・・・・
甲斐さんが『ほんやら洞』を根城に、
出町かいわい撮りまくっていたころの一枚だ。
このころ、甲斐さんは『京都出町』という写真集を出し、
桑原さんに贈ったところ
『まあ、よう撮れとりますが、出町の
しねっとしたところが撮れとらんですな』
と評されたそうだ。・・・」(p106~107)
はい。桑原さんは半袖姿で、お孫さんはランニング姿。
夏の一枚ですね。つぎのページには
『出町附近、秋野不矩さん』の写真。
横断歩道を手をとられて二人して渡っています。
着物姿で、手をとられているのか、手をとっているのか、
颯爽と歩いています。

夏には、秋野不矩さんのインドの絵が思い浮かびます。
ということで、京都書院の『秋野不矩インド』(1992年)を
本棚からとりだしてくる。最後の方に
「秋野不矩 1992年夏美山にて」という写真。
不矩さんの着物の立ち姿。
最後に小池一子さんのあとがき。
そのはじまりを引用。

「秋野不矩さんの新作が仕上がり、京都のお寺の本堂で
撮影を行うことになった。不矩さんの6番目の息子さんが
ご住職なので、山のアトリエから作品がそこへ運ばれ・・・・

不矩さんの描いているインドがある。人のいない空間。
雨雲。河。河を渡る水牛。身辺の風物がさーっと退き、
不矩さんはズーム・バックするような目で
インドという地表を描いている。・・・・・」

うん。この画集には、はじまりに司馬遼太郎の自筆を
写真撮影した『菩薩道の世界』が、推敲の跡そのままに
掲載されていて印象深い一冊です。
ということで、司馬さんの文を引用

「世界の絵画のかなで、清らかさを追求してきたのは、
日本の明治以後の日本画しかないと私はおもっている。

いきものがもつ よごれ を、心の目のフィルターで
漉(こ)しに漉し、ようやくと得られた
ひと雫(しずく)が美的に展開される。
それが日本画である。その不易の旗手が、
秋野不矩画伯であるに相違ない。
秋野絵画は上村松園の血脈をひいていると私はおもっている。
詩的緊張が清澄を生むという稀有の系譜である。

画伯は、京都芸大教授であったころ、
インドのビスババーラティー大学にまねかれて、
客員教授になられた。以後、インドに魅かれるようになった。
・・・・・」


うん。暑いときにひらく画集「秋野不矩インド」。
コメント
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