大村しげ著「京都 火と水と」(冬樹社1984年)。
古本で300円。
カバーはシンプルな薄茶色。
見返し表:鞍馬の火祭り
見返し裏:上賀茂神社の境内を流れるならの小川
そこだけ写真がカラー。
うん。今年の京都の大文字は、
要所要所を5~6点で点火しただけだったようです。
それでも、大文字。
1918年の京生まれ、京育ちの大村しげさんの
大文字はと、本をひらく。
「夜空に、一点ぽーっと灯った火がするすると延びて、
やがて、筆太の大の字がくっきりと闇の中に浮かぶ。
8月16日の夜の、お精霊(しょらい)さんの送り火である。
すると、点火を今か今かと待っていた緊張が、一瞬ほぐれて、
あたりにはどっと喊声が上がる。
とーぼった とぼった
大文字がとーぼった
こどもころは、どこのおうちでもみんな大屋根の火の見へ上がって、
大文字を見た。火の見は物干し。・・・・・」(p132)
大村しげさんの文はつづきます。
「大文字といっしょに京の夏も往んでしもうて、
いままで張りつめていたのが、ぺしゃんとなってしまう。
わたしが夏が好きやのは、7月は祇園祭で燃えているし、
お祭りがすんでも、まだお盆がある、大文字があると、
それを目当ての毎日やった。それが、大文字もすんでしまうと、
いっぺんに支えがのうなって、暑さがよけいにこたえる。
そして、地蔵盆までの間が、わたしには、夏でもない、秋でもない、
と宙ぶらりんの気分で、やりきれないのである。
それほど大文字は、わたしにとってはびしっと夏と別れる火で、
まぶたに焼きつくほど燃えるのが、かえってさびしさをつのらせる。」
うん。今年はといえば、コロナ禍での、やりきれなさ。
祭といえば、地元の苦労は大変なのですが、
祭のない今年は、のっぺりと過ぎてゆきます。
この機会に、わたしは「正法眼蔵」に目を通すのが目標。