和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「いや私が払ってもいい」

2020-12-15 | 本棚並べ
昨日の寝床本も、谷沢永一編「なにわ町人学者伝」。
うん。目次を見ると、10人が紹介されております。
そのお1人を読むだけで、私は満腹感となります。
富永仲基からはじまり、5人目が山片蟠桃でした。

そういえば、と今日になって本棚からもってきたのは
「山片蟠桃賞の軌跡1982‐1991」(大阪府・平成元年)。
うん。定価が載っていないので、非売品だったのかも
しれません。いつ買ったのか忘れましたが、
天牛書店のラベルがあって、下に鉛筆で1500円とある。
ネットで購入して、楽しく読んだ記憶があります。

「山片蟠桃賞の軌跡・・」の最後にある「監修のことば」は
谷沢永一・山野博史の名前がありました。
せっかくね、本棚から取り出したので、ひらいた箇所を引用。
蟠桃賞の最初の受賞者はドナルド・キーン氏でした。
受賞記念の講演も載っているのです。そこから引用。

「1941年の秋、私はコロンビア大学の4年生になりまして、
日本語と日本思想史の勉強を正式に始めました。
日本思想史の組に学生は私一人だけでした。
当時の日本は人気がありませんでした。

教師であった角田柳作(つのだりゅうさく)先生のことを
気の毒に思いまして、
『一人のために準備するのはもったいない、私はやめます』
と言いましたけれども、
先生は、『一人でもじゅうぶんです』とおっしゃいました。

その秋のは、『江戸時代の思想』という課目でしたが、
私一人のために、講義の準備をして毎回たくさんの本を
教室まで運んでくださいました。なにか問題があると本を開けて調べて、
講義は1時間のはずだったのに、だいたい2時間半は続きました。
私一人のためだったのですが、ときどき日本人の聴講生も来ました。

その時初めて、山片蟠桃という名前を聞きました。
私は特別に山片蟠桃に興味がありませんでしたが、
角田先生は、日本の思想史の中でとりわけ変わったもの、
いわゆる独立思想家、そういう人びとのことに関心がありまして
 ・・・・・・・・・

私は日本語の手ほどき程度しか知らなかったのですが、先生は、黒板が
真っ白になるほどたくさんの漢字やいろんなことばを書いてくれました。
私には意味がさっぱり分かりませんでしたが、その漢字を自分のノート
の中に書き込んだものでした。

そして、12月8日となりました。
アメリカでいうと真珠湾攻撃の翌日、教室に角田先生の姿は見えません
でした。一時的でしたけれども、敵性外国人として抑留されたのです。」

 このあとに、キーン氏は、アメリカの海軍の日本語学校にはいります。
 戦争中の仕事に関して、つぎに述べられておりました。

「私の仕事はだいたい翻訳でした。
日本軍が残したいろんな書類の翻訳でしたが、書類のほとんどは実に
つまらないものでした。全然関心をもたせないようなものばかりでしたが、
私は、ある日、誰も手をつけていないような書類を見つけました。
それは、日本人の兵隊が残した血まみれの日記でした。
悪臭がして、きたないものでした。やっぱり人の血で染めた
ようなものを読むのはあまり楽しいものではありません。

ある日、それを読もうとしたんですが、行書で書いたもので、
当時の私は行書や草書をあまり知らなかったのですが、だんだん、
その人間味のある字に関心をもつようになりました。
どんな陸軍とか海軍の書類よりも、日記とか手紙のほうが
はるかに私に訴える力をもっていたのです。
そして私はそれを専門にすることにしました。 」

 あとは、飛ばして、戦後の箇所に触れます。
 はい。いずれも付箋を貼ってあった箇所なのでした。

「ある時、私は誰かに語った覚えがありますが、
『大学から給料をもらっているけれども、給料なしで教えてもいい』
と言いました。もう少し考えてから、
『いや私が払ってもいい』とさえ言ったのです。
私はそう信じていました。授業は実に楽しかったです。

頭のいい学生(きょう、1人ここへ来ていますが)にめぐまれたら、
教えることほど楽しいことはないんです。さらに大切なことは、
教えながら、いろんなことを学生から学ぶんです。それは確実です。
・・・・」(~p58)

うん。もどって「なにわ町人学者伝」から
谷沢永一が指摘する、山片蟠桃(p50)のはじまり

「内藤湖南は『近世文学史論』と題する近世学問史の一節で、
特に『関西人材の富』を指摘している。
 ・・・・・
近世期の長い300年間を通じて、端から端まで
他人の学説に依拠するところなく、完全に自発的な創見と
発明を以て立論したのは、富永仲基・・三浦梅園・・
そして山片蟠桃の『夢の代』と、詮じ詰めればただこれだけである。

関東の学者は儒教の公式に忠実な教条主義の次元で、
派閥を作っては広く門戸を張り、勢力の拡張に一生の精力を消耗する。
それに較べると往々にして関西には、強靭な個性を発揮して
時流におもねらず、学界の俗見から見事に超脱して、
学問本来の最も根柢な、知的探求心を自在に深めた存在が見られる。
・・・・・・・・」

うん。そのあとに筒井之隆氏による簡略にして、
具体的な山片蟠桃の経歴がたどられていて、読みやすく
手応えがありました。

「いや私が払ってもいい」と、ドナルド・キーンさん。
「いや私が払ってもいい」と、私なら安物の古本買い。


コメント
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