古本を買うようになって、新しく気がつくことは、
本を読まないのは、私一人だけじゃないってこと。
最初の数ページだけ、読んだ形跡がある古本だと、
ああ、これは私の読書と同じだと同輩と出会った、
気持になるのは、これはもう古本の教えでしょう。
さてっと、杉浦明平著「今昔ものがたり」
(岩波少年文庫・1995年)があります。
うん。以前に今昔物語を読もうとして、この本を
買ってありましたが、最初の『悪人往生』を読んで、
あとは読まずに、そのままになっておりました。
少年文庫をひらいて、その最初の数ページしか
読まないのですから、私の読書の底の浅さ(笑)。
今回この少年文庫を出してきました。
いまでも今昔物語を読む気でいます。
杉浦明平氏の「あとがき」の始まりは
「この本は『今昔物語集』のごく一部です。
どうして『今昔物語集』という題名になったかというのは、
全31巻1059篇の短い話のすべてが『今は昔』という形で
語り始められているからです。・・・・その頭の部分から
『今昔物語集』と呼ばれるようになったのでしょう。・・」
うん。この少年文庫には39話が選ばれておりました。
わたしが読んだのは、最初の『悪人往生』なのですが、
これだけしか読んでいないのに、これが印象に残って
おりました。『あとがき』には、こう指摘されております。
「この本の始めの5篇は、本朝仏法部から撰り出した作品です。
中でも巻頭の一篇『悪人往生』は胸のすかっとするほど
気持がよいと思いませんか。・・・」
うん。巻頭の一篇の挿画とともに、印象に残っておりました。
そうして、そのままになっていたのですが、
こんど、神田秀夫著「今昔物語」(岩崎書店・昭和50年)を
ひらいていたら、こちらには27話が載せてあるのですが、
そこに『悪人の念仏』と題して、この『悪人往生』が
載っておりました。神田秀夫氏の本には、
話の最後にきちんと出典が載せてあります。
(巻19の第14 讃岐国多度の郡の
五位法を聞きて即ち出家するものがたり)
うん。これなら、原文のありかを知ることができます。
というので、岩波文庫で探してみると、
池上洵一編「今昔物語集 本朝部 中」にありました。
うん。せっかくですから、原文の一部を引用。
「其の後、入道、着たりける水干袴に、
布衣・袈裟など替えつ。
持たる弓・胡録などに金鼓(こんぐ)を替へて、
衣・袈裟直く着て、金鼓を頸に懸て云く、
『我れは此より西に向て、阿弥陀仏を呼び奉て、
金を叩て、答へ給はむ所まで行かむとす。
答へ不給ざらむ限は、野山にまれ、海河にまれ、
更に不返まじ。只向たらむ方に向行き也』と云て、
声を高く挙て、
『阿弥陀仏よや、をいをい』と叩き行くを・・・・」
(p89)
はい。岩波少年文庫はというと、
いまだ第一話の17ページしか読んでいないのでした。