「難波大阪」の附録に
牧村史陽氏が「『郷土と史蹟』を書き終って」という
短文を書いているのですが、そこに
「単なる名勝案内ならばなんでもないが、
それでは私は飽き足らない。今までにあまり知られていない
古代遺跡や、文化碑、天然記念物までも、どこかに
こんなものがあると知れば、私はすぐに車を走らせた。
・・・・」
はい。「難波大阪」の一冊である、牧村史陽の『郷土と史蹟』
をパラリとひらくと「与謝蕪村の句碑」という箇所がでてくる。
そこだけ引用してみます。
「与謝蕪村の句碑 東大阪市新喜多
日は日くれよ 夜は夜あけよ と鳴くかはず
近鉄奈良線永和駅の北方、旧暗越奈良街道を東へ、
長瀬川の高井田橋の手前、田中益次郎邸の奥庭にある。
先代松仙翁が蕪村の句を愛し、
その筆跡を得て昭和11年に建てたものである。」(p347)
はい。自分の家の奥庭に、句碑を建てる。
というのがいいですね。お寺だとか、名所に建てる
のとはわけが違う。しかも「その筆跡を得て」という
のだから、何とも言えません。
はい。自分のお墓をつくるのとは、違います(笑)。