神田秀夫氏は1913年東京生まれ。
神田秀夫著「荘子の蘇生」(明治書院・昭和63年)の
最後の跋が印象的なので引用しておくことに。
「私どもの時代は、社会が公務を先にせよと云う毎日だったから、
自分のために読む本はいつも後廻しになるという、奇妙なところがあった。
私の場合、荘子がそうだった。随分と前から資料を買い漁って
貯えていながら、読まずに楽しみに取って置いた嫌いがある。
ほんとにう読みだした50代は、徹夜する体力が、そろそろなくなりだし、
読まずに取って置いた楽しみをやっとわが物にするようになった今は、
眼をいたわるようになり、虫眼鏡も離せない始末。
人にも援けられるようになった。・・・・・
もともと私の場合、荘子は、読むべき因縁もあった。
武蔵という7年制の高校にいた時分、校友会誌で
先生がたが若い日に読まれて感銘の深かった本という
アンケートを採ったことがあった。そうしたら、
教頭の山本良吉先生の回答に、
論語とともに荘子が出て来た。
晁水山本良吉は、大拙鈴木貞太郎、
東圃藤岡作太郎・西田幾太郎らの、
あのグループである。同郷同世代の親友同士らしい。
・・当時、何かの折に、荘子の話をして下さいませんか、
と山本先生に云ったことがある。ところが、
『まだ、君がたには・・・(早すぎる)』と一笑に付された。
アンケートでは感銘が深かったの何のと書かれながら、
教室では四書集注本の論語しか教えて下さらない。
生意気ざかりの私には、この子供あつかいが、いたくこたえた。
おのれ、読まずに措くものか。そうして、いくらか読めたのは、
何時(いつ)かというと、57年後の今。—―――
意気地がないと云えばないが、そうして
一生持ち続ける意気地を培ってくれたのでもある。
そう取って私は武蔵に、衷心感謝している。・・・」
(p434~435)
うん。こういう箇所は、
あとになって、ふと思い出しそうなので、
その時になって、本を探しだせないことがないように、
いま引用しておくことにします(笑)。