和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

八方破れの構え。

2020-12-24 | 本棚並べ
前田利鎌(まえだとがま)著「臨済・荘子」(岩波文庫)の
古本は、81円+送料257円=338円で注文。

うん。今年最後の読書は、荘子かもね(笑)。

さてっと、あれこれ拡散してしまうと自覚している
私の読書ですが、それならば、はじまりの出会いを、
しっかりと握りしめているのに限ると、最近やっと、
そんなことを、思うようになりました。

今回の場合は、
神田秀夫論稿集①「東から見た河と江と」(明治書院・昭和58年)。
神田秀夫著「荘子の蘇生 今なぜ荘子か」(明治書院・昭和63年)。
この2冊。
その1冊目に「日本における荘子」(p373~)がありました。
そのはじまりを引用。

「誰でも生涯に2度や3度は著者とのめぐりあいを経験するものだろうが、
私のばあい、一番深い影響を与えられた本は、荘子だった。

国文の畑に育って、日本の古典を常食としているに拘わらず、
戦後の自分の思想の背骨になっているものは何なのだろうと
自己分析をしてみると、かえって、それは漢文の荘子であることを発見する。

そのコスモスにカオスを対置した八方破れの構えといい、
土俵のない所で物をいわなければならなかったために発明された
寓話風な表現の方法といい、それの持つ詩的な文体といい、
自分がこの戦後20余年を、かろうじて、すりぬけるように
生きのびてきた際の支え柱というか、精神的エネルギーというか、
すくなくとも精神の陣は、荘子によって立ってきたように思うのである。

殊に最近のような世情、ますます生き難くなってきた状況を見るにつけ、
聞くにつけ、オリジナルな荘子のありがたさを感じることが多い。
もちろん、それは荘子を蝕ばんだ神仙譚や、ある部分の思弁の空転に、
自分を魔睡させたいなどということではない。

近代の一個人の著作とは性質を異にする以上、
夾雑物は夾雑物として排除しなければならぬが、
排除しても、なお且つ、大いなるあら玉の如く、
磨き甲斐のあるオリジナルな発想が、荘子のなかには、
ぎっしりつまっていることを私は感じるのである。
・・・」

はい。こうはじまっておりました。
うん。やっと荘子へのスタートラインに立てた。
手がかりを掴めたそんな気がしてくるのでした。
コメント
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