和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

なんの遠慮がいるもんかい。

2020-12-13 | 本棚並べ
「本好き」と「読書好き」との区別があるそうです。
わたしは「本好き」で、読む方はおざなりのタイプ。
本が身近にあれば満足で、それに古本屋さんも喜ぶ。

さてっと、昨日の寝床本は2冊。
杉山龍丸の「わが父・夢野久作」(1976年・三一書房)
「夢野久作ワンダーランド」(沖積社・1988年)

ワンダーランドの方に、桂米朝氏の短文があります。
そのはじまりは

「私が夢野久作という名前を知ったのは、昭和18年のことです。
友人の家に『ドグラ・マグラ』(多分、初版本と思う)があり、
『これは何とも不思議な小説だよ』と貸してくれたのですが、
一読、強烈な印象をうけました。十七、八歳の頃のことです。
本当に夢幻境の世界に遊ぶ思いをしました。
  ・・・・・・

これを書くについて、読み返そうと思ったのですが、
その暇がないのが残念です。『犬神博士』を読んだとき、
あの文章に私は〈話芸〉を感じました。
私は喋るのが商売のはなし家ですから、
特にそう感じるのかも知れませんが、
渋滞なくどんどん読み進めてゆける小説には、
みな一種の話術があります。・・・・」(p20)


「わが父・夢野久作」の目次に「童話」と題した箇所があるので
ひらいてみる。そこに
「彼は(夢野久作のこと)、演説は駄目でしたが、
座談は非常に巧く、面白い話をして呉れました。」とあります。

「彼が私に話した、童話というか、博多、福岡地方の民話と
いったものは、沢山ありました・・・」

こうして一例を残してくれております。
うん。ここまで書いたのですから引用しましょう。

「福岡の郊外の或る名家が、花嫁を貰いました。」
とはじまります。

「さて。四ヶ月、五ヶ月とたつうちに、花嫁は、段々、
お腹が大きくなって、目立ってやせてゆき、時々誰もいないところで、
眼に涙をためて大きな吐息をつくようになりました。
さあ、お姑さんは、気になって、心配で、心配でたまりません。」

こうして、姑と嫁の会話になります。

『あんた、あたきが、何度聞いても、いいえというて、
どげえーもなかと、いいなるばってん。
あんたのこのごろの様子は、ただごとじゃなかばい。
あたきは、あんたば、実の子供のごと、思うとると。
それやけ、なんでもよか、あたきにいうてんなざい。
どげーなことでもよか、あたきにでけることなら、
いうてんなざいや。』と、
必死になっていいました。
花嫁はやっと、
『あたしゃ、はずかしうございますばってん。
どげなことでもよごさっしょうか?』
と、さも消えてしまいそうな小さい声で申しました。

『屁こきとうございます。』


  この話芸は、細部が面白いのですが、
  カットして、飛ばしてゆきます。

『おう、なんの遠慮がいるもんかい。あたきのおる前で、
どうどうと、遠慮なしに、やってんたい。そうすりゃ、
すーとするじゃろう。』

   うん。飛ばして、最後を引用。

「残念なことが只一つありました。
花嫁が、屁こいた尻が、丁度、庭先きの柿の木の方を向いていました。
晩秋で、その柿の木は、この家の名物の大木でしたが、一杯に、
たわわに熟した柿の実が、真赤になっていました。
その柿の実が、花嫁の屁で全部落ちてしまいました。
それで、熟して落ちた柿の実は、臭くなってしもうた。

という話でした。
私には、この話より、彼が、花嫁の格好や、姑さんの姿、
こわ色をつかってやって呉れた姿、大きな手、長い顔で、
一生懸命話して、とくに、花嫁が、『ぐわわわわん』と
放屁一発したときの大声、顔、口、手のしぐさの方は、
言葉で現わせませんが、今も記憶に残っています。

彼は演説は駄目でしたが、座談は非常に巧く、面白い話をして呉れました。
この『屁こき嫁御』の話を聞いた後、私は、熟柿が食べられなくなりました。」(~p222)


うん。もうすこし、
スマートな、引用をしたかったのに、
下手クソな、引用となりました(笑)。



コメント
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