和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

修行者「あづみ」

2020-12-22 | 本棚並べ
神田秀夫著「今昔物語」に載っている「久米寺」は
こうはじまっておりました。

「今はむかし、大和の国(今の奈良県)の吉野の郡に、
竜門寺という寺がありました。ふたりの人が、そこにこもって、
『仙の法』というものを修行していました。
『仙の法』というのは、いわゆる仙人になる術です。仙人になると、
老いもせず、死にもせず、その通力で空を飛ぶことができます。

ふたりの修行者の名は、『あづみ』と『久米』といいました。
『あづみ』がまず行(ぎょう)をおえて、飛んで空にのぼりました。
そのあとから『久米』も仙人になって、空に飛びあがりました。

さて、久米が、空を飛んでわたっていくと、
吉野川の岸で、若い女の人が、川にはいって洗濯をしているのが
見えました。・・・・・・・」(p54)


はい。久米さんはつとに有名なので、
ここでは『あづみ』さんのことを私は思い描きます。

そういえばと思い浮かんだのは、
須賀敦子著「遠い朝の本たち」(筑摩書房・文庫もあり)。
この本は、『しげちゃんの昇天』からはじまっておりました。
そのはじまりは

「しげちゃんにさいごに会ったのは、1951年に私が女子大を
卒業して35年もたってからで、場所は調布のカルメン会修道院
の面会室だった。・・・函館の修道院にいた彼女が・・・
東京の病院で治療をうけるために調布の修道院に来ている、
そう聞いて、私はさっそく出かけて行ったのだった。
 ・・・・
しげちゃんと私はもともと、六甲山脈のはずれにあたる
丘のうえのミッションスクールで、小学校からの同級生だった。
・・・・・・
卒業も間近なある日・・・・・
しげちゃんが低い声で言った。私は、来年卒業したら、
たぶんカルメン会の修道院にはいる。えっ?
と私は問い返した。その修道院の戒律がきびしくて、
一度、入会したら、もう自由に会うこともできなくなるのを
知っていたからである。一日中、沈黙の戒律をまもり、
食事のときもだまって聖書の朗読を聴きながら食べるという話は、
中世みたいで恐ろしくもあった。
しばらくのあいだ私はあきれて彼女の顔を見ていた。・・・」

うん。引用がどんどん長くなるので、あとはカット。
神田秀夫著「荘子の蘇生」(明治書院・昭和63年)を
古本で購入。404円+送料347円=751円でした。
函入で、読んだ形跡のない本です。
とりあえず、ひらいた章は「日本に於ける荘子」。
そこに、前田利鎌著「臨済・荘子」(岩波文庫)の
前田利鎌氏のことが紹介されておりました。
その箇所を引用。

「・・最大の事件は、前田利鎌によって
『臨済・荘子』が書かれたことである。(昭和4・2大雄閣出版)。
前田利鎌は大正時代の一高・東大、哲学科の出身で、卒論は
『ファウストの哲学的考察』。卒業後は東京工大の講師、
昭和5年教授。昭和6年病没、34歳。・・・・

『臨済・荘子』は・・・
あの禅宗の方で知らぬものなき臨済宗の宗祖を論じ、
それと並行して荘子の思考の構造を解明したもので、
著者が意図的にそう書いているわけではないにかかわらず、
読み終ってみると、かの鎌倉・室町の昔に五山の禅僧が
荘子を再輸入したのも、むべなる哉、そうなるべき必然があったのだ、
ということを頷かせる、重大な本である。
論ずる者は哲学科の出身で、西洋哲学の造詣があり、従来の
漢学者の解説的編者とは、くらべものにならぬ論理的な彫りの
深さがあるのみならず、この本には、34歳で没するまで、
終身童貞、ひまさえあれば只管打坐、精進につとめた著者の
主体的情熱が脈々と流れていて、その迫力は圧倒的である。
・・・・」(p181~182)

はい。さっそく岩波文庫の安い古本「臨済・荘子」を注文。
その本が届くまでの間、思い浮かべるのは、3つ。

ひとつは、
「『あづみ』がまず行をおえて、飛んで空にのぼりました。」
ふたつめは、「しげちゃんの昇天」。
みっつめは、34歳で没した前田利鎌氏のこと。
コメント
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