神田秀夫著「今昔物語」に載っている「久米寺」は
こうはじまっておりました。
「今はむかし、大和の国(今の奈良県)の吉野の郡に、
竜門寺という寺がありました。ふたりの人が、そこにこもって、
『仙の法』というものを修行していました。
『仙の法』というのは、いわゆる仙人になる術です。仙人になると、
老いもせず、死にもせず、その通力で空を飛ぶことができます。
ふたりの修行者の名は、『あづみ』と『久米』といいました。
『あづみ』がまず行(ぎょう)をおえて、飛んで空にのぼりました。
そのあとから『久米』も仙人になって、空に飛びあがりました。
さて、久米が、空を飛んでわたっていくと、
吉野川の岸で、若い女の人が、川にはいって洗濯をしているのが
見えました。・・・・・・・」(p54)
はい。久米さんはつとに有名なので、
ここでは『あづみ』さんのことを私は思い描きます。
そういえばと思い浮かんだのは、
須賀敦子著「遠い朝の本たち」(筑摩書房・文庫もあり)。
この本は、『しげちゃんの昇天』からはじまっておりました。
そのはじまりは
「しげちゃんにさいごに会ったのは、1951年に私が女子大を
卒業して35年もたってからで、場所は調布のカルメン会修道院
の面会室だった。・・・函館の修道院にいた彼女が・・・
東京の病院で治療をうけるために調布の修道院に来ている、
そう聞いて、私はさっそく出かけて行ったのだった。
・・・・
しげちゃんと私はもともと、六甲山脈のはずれにあたる
丘のうえのミッションスクールで、小学校からの同級生だった。
・・・・・・
卒業も間近なある日・・・・・
しげちゃんが低い声で言った。私は、来年卒業したら、
たぶんカルメン会の修道院にはいる。えっ?
と私は問い返した。その修道院の戒律がきびしくて、
一度、入会したら、もう自由に会うこともできなくなるのを
知っていたからである。一日中、沈黙の戒律をまもり、
食事のときもだまって聖書の朗読を聴きながら食べるという話は、
中世みたいで恐ろしくもあった。
しばらくのあいだ私はあきれて彼女の顔を見ていた。・・・」
うん。引用がどんどん長くなるので、あとはカット。
神田秀夫著「荘子の蘇生」(明治書院・昭和63年)を
古本で購入。404円+送料347円=751円でした。
函入で、読んだ形跡のない本です。
とりあえず、ひらいた章は「日本に於ける荘子」。
そこに、前田利鎌著「臨済・荘子」(岩波文庫)の
前田利鎌氏のことが紹介されておりました。
その箇所を引用。
「・・最大の事件は、前田利鎌によって
『臨済・荘子』が書かれたことである。(昭和4・2大雄閣出版)。
前田利鎌は大正時代の一高・東大、哲学科の出身で、卒論は
『ファウストの哲学的考察』。卒業後は東京工大の講師、
昭和5年教授。昭和6年病没、34歳。・・・・
『臨済・荘子』は・・・
あの禅宗の方で知らぬものなき臨済宗の宗祖を論じ、
それと並行して荘子の思考の構造を解明したもので、
著者が意図的にそう書いているわけではないにかかわらず、
読み終ってみると、かの鎌倉・室町の昔に五山の禅僧が
荘子を再輸入したのも、むべなる哉、そうなるべき必然があったのだ、
ということを頷かせる、重大な本である。
論ずる者は哲学科の出身で、西洋哲学の造詣があり、従来の
漢学者の解説的編者とは、くらべものにならぬ論理的な彫りの
深さがあるのみならず、この本には、34歳で没するまで、
終身童貞、ひまさえあれば只管打坐、精進につとめた著者の
主体的情熱が脈々と流れていて、その迫力は圧倒的である。
・・・・」(p181~182)
はい。さっそく岩波文庫の安い古本「臨済・荘子」を注文。
その本が届くまでの間、思い浮かべるのは、3つ。
ひとつは、
「『あづみ』がまず行をおえて、飛んで空にのぼりました。」
ふたつめは、「しげちゃんの昇天」。
みっつめは、34歳で没した前田利鎌氏のこと。