和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

昭和35年「新潮」。

2013-09-01 | 短文紹介
非売品の「新潮社七十年」に
戦後の「昭和22年の某月某日」の話が載っておりました。

「GHQ勤務の将校と称する第三国人が突然新潮社に現われて、この度、前社長はもちろん、新しい重役たちも悉く追放に指定されることにきまったといって重役たちの即時退陣を求め、それに代って新しく某氏を新社長に戴くべしというGHQの命令なるものを義夫社長に伝えた。それと相呼応するようにして一重役が社員の一部を煽動して、社員組合の結成と、戦争責任重役の辞職を要求して、当時流行の業務管理に入った。
この寝耳に水の事件に社内は驚愕したが、まもなくその第三国人がGHQの名を騙る詐欺漢であることが発覚し、それに踊らされた一重役と一部の社員はその責任を負って自発的に退社して事件は急速に解決した。今日より見れば敗戦のどさくさに乗じて企らまれた児戯に類する陰謀にすぎなかったが、出版社の戦争責任が声高く叫ばれていた当時にあっては、少なからず社を脅かした事件であって、戦後における新潮社の最大の危機であった。
しかし雨降って地かたまるの譬えで、この事件のために、異心を抱く社員は悉く退社し、社内の空気は一段と明朗になり、・・・社業に向って邁進する結果をもたらしたのであった。」(p169)

この「新潮社七十年」は戦後の一年ごとの様子を描いて、読みやすく楽しめます。
ということで、昭和35年の箇所を一部、引用しておきます。

「昭和35年(1960)は三池争議や安保反対のデモ騒動によって記憶さるべき年であって7月15日に岸内閣が総辞職し、『誠実と謙虚、寛容と忍耐』をキャッチ・フレーズとする池田内閣がこれに代った。『岩戸景気』とうたわれた前年度をうけて、本年も引きつづいて消費ブームがつづいた。・・・」(p212)

「・・・また福田の評論は、『安保反対にあらざれば人にあらず』とまで興奮しきった風潮に鋭い警告を発したもので、福田は『私は今度の新安保阻止運動を【国民的エネルギーの結集】とする途方もない嘘を受け容れない』といい、『今の世の中には、常識だけが欠けている常識が却けられて、その代りに屁理屈、感傷、憎悪、興奮、自己陶酔、固定観念が横行する』と指摘して、『何よりもまづ常識に還ることだ。そうすれば、その向うに何があるか、また何がないか、現実の姿がはつきりと見えてくるだらう』と心ある人々の覚醒をうながしたのであった。あの時点において福田のこの評論を掲載した『新潮』の勇気と良識は高く評価さるべきであろう。・・」(p214)
コメント
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