和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

7月19日。

2014-07-16 | 安房
7月19日は神輿の渡御。
それでもって、
今夜は、最後の歌と踊りの練習日。

楽しく、飲みました。


今日は、高速バスに
乗っておりました。
もっていたのは、
小川榮太郎著「最後の勝機(チャンス)」(PHP)
相変わらず、少し読んでは寝てしまいました。
帰りのバスでは、
通路を隔てて、隣の方が左右両目が
飛蚊症になったけれど、
それなりに、治りました。
とおしゃべりしておりました。

さてっと、
7月19日は8時集合とのこと。

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くびれ。

2014-07-15 | 前書・後書。
平川祐弘著「ダンテ『神曲』講義」を
とりあえず、終りまで読んだので、
つぎに注文したのが

平川祐弘訳ボッカッチョ「デカメロン」
(河出書房新社)でした。
それが今日届く。

古書ワルツ(東京都青梅市成木)
5780円+送料300円=6080円

まあ、読む読まないは別として(笑)。
解説平川祐弘氏のはじまりを引用。

「・・『デカメロン』(1351年)は、
古代から近代にいたる西半球世界の文学史の
流れを砂時計にたとえると、その中央の
『くびれ』にあたる。時間軸に沿って、
上はギリシャやローマ、ユダヤやイスラエルなど
さまざまの源泉から流れ出たいろいろな話が、
この『十日物語』とも『百物語』とも呼ばれる
この一大物語集に流れ込み、そこを通って
再び方々に散らばって、下はヨーロッパ各地の
創作の沃土に流れ込んで、第二次、第三次の
花を咲かせたからである。・・・・

内外に起源する物語がイタリア語でも広く
読み得るようになった十四世紀の『デカメロン』は、
インド・中国・日本に起源する物語を集め、
それが日本語でも広く読み得るようになった
十二世紀の『今昔物語』に時代的には近く、
形式的にも似ている。しかし宗教説話が中心を
占める『今昔物語』と違って、『デカメロン』は
ことごとく世俗物語である。その点が性格を
異にする。・・・・そうした内実を考慮すると、
ルネサンス初期における『デカメロン』の出現は、
明治維新の開国後の日本において諸国の物語が
鴎外などの手で訳されて多くの人に広く
生き生きと読まれ得るようになった知的世界の
拡大や人間復興の様にむしろ似ている。
私がダンテ『神曲』と並べてボッカッチョ
『デカメロン』のこの新訳を、ルネサンスを
告げる近代西洋古典として読者に提示したく
思う所以である。」(p708~709)


そういえば、今昔物語集もまだ読まずにある、
まさか、ここで今昔物語とのつながりを聞けるとは。
この夏、どちらか読めればしめたもの(笑)。
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暑中見舞。

2014-07-14 | 手紙
とりあえず。
6人の方へ、「暑中見舞」の葉書を昨日出す。
うん。家で暑中にいるよりも、
葉書発信をすることに(笑)。
明日も、暑中葉書をだそう。
と思う。
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講義の旅。

2014-07-12 | 前書・後書。
ふーっ。
平川祐弘著「ダンテ『神曲』講義」(河出書房新社)を、とりあえず、最後までめくる(笑)。

最後の「第25回 天国篇」の講義は
「天国篇は、逸話の部分を除くなら、普通の読者に通読はけっして容易ではありません。というか無理という方が自然で正直でしょう。・・・読んで面白くない。訳者がそう感じるのだから、読者の皆さまが面白く感じるはずはないと思います。」(p479)
という語り口で、私などでも、楽しく読みとおすことができました(笑)。

せめても、この講義の最後の言葉も引用しておきます。

「ここで『神曲』講義の旅を終えさせていただきますが、『覚(さ)むるや名残(なごり)なるらん』と申します。終わって、やがて細かいことは消えて失せても、皆さまの心に感動が残り、うるわしさがなお滴っているならば、嬉しいことに存じます。」(p503)

そういえば、この本の「まえがき」は
天国篇の一節が引用され、はじまっておりました。
そして、こうあったのでした。

「いま冒頭にダンテの一節を引いたが、
これは東大紛争の最中の1969年元旦、
駒場で最年長の助手であった私が
天国篇第13歌から選んで知友に送った
年賀状に印刷した言葉で、それとなく
自戒としたのであった。
『神曲』を訳したことはおのずと
自信となり、わが道を行く上での
生き方の支えともなった。大学紛争で
学内が暴力支配の場と化して
授業が行われなくなった時、
学外で自主的に部屋を借りた有志学生に
講義したのも『神曲』であった。・・・」(p10)


うん。今年の夏のはじまりは、
魅力ある講義の旅からでした(笑)。
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東日本大震災前と後。

2014-07-11 | 地震
東日本大震災の以前と以後。
という分け方を、ついしてしまうことがあります。

さて。ここに3冊。

2010年8月初版の、平川祐弘著「ダンテ『神曲』講義」
2011年1月30日第一刷、佐々淳行著「彼らが日本を滅ぼす」

  そして、2011年3月11日東日本大震災。

2011年7月25日第一刷、佐々淳行著
  「ほんとに、彼らが日本を滅ぼす」(幻冬舎)


では、最初の一冊から順に引用してゆきます。

「『それはそうだろう。戦中派にとって最大の
記憶は戦争だ。それにたいして団塊の世代にとって
最大の記憶はたかだか大学闘争だ。前者には
深い反省があった。しかし大学紛争で騒いだことが
正しいと思い込んだような愚かな人間には
反省がない。自分たちを取囲む情報空間が
いかにいびつであるかという自覚や反省の
ないまま育った人に、きちんとした判断も
仕事もできるはずはない』。」(p17)

2冊目から引用。

「私は、学生時代の菅直人氏をよく知っている。
菅直人総理も、あの第二次反安保闘争の学園紛争
花盛りの当時、バリケード封鎖された東京工業
大学の輝ける闘争委員長だった。
三派系セクトには属していなかったようだが、
東工大学生たちを反安保闘争にかり立てる
名アジテーターであったことは間違いない。
当時、警視庁警備第一課長で機動隊運用の
責任者だった私は、学長・加藤六美氏の要請で
同大学付近に出動・待機していた間に、
ラウンドスピーカーを通じて流れてくる
彼のアジ演説を耳にしたものである。
加藤学長は、『あの菅という学生には
手を焼いております。彼がアジ演説をすると、
すぐ500人くらい集まって騒ぐので困って
おります』と、窮状を私に訴えていた。
・・・・・・
現場で警視庁の警備公安の幹部たちが、
『我々は、菅のことを【四列目の男】と
呼んでいるんです』と言う。・・・・
『機動隊が検挙活動に入ると、横隊だと
三列目までは手が届くんですが、四列目と
なると手が届きません。彼はいつも
四列目より後ろにいて、逃げ足が速いんで
捕まえられないのです』
なるほど、三回にわたる検挙活動で
菅委員長を捕まえることができなかったわけが
わかった。」(p140~141)


3冊目から引用。

「菅内閣は、東日本大震災と福島第一原発事故に
対し、最大規模の『国家危機管理』の問題として
取り組むべきであり、そのためには
『安全保障会議設置法』と『国民保護法』を
適用すべきであった。・・・・
では、なぜ『菅直人総理と七人衆』は
『安全保障会議設置法』と『国民保護法』を
適用しなかったのだろうか?
それは彼らが自衛隊とか警察とか、安全保障とか、
武張ったもの、力のあるものに対しては、
生理的に体質的に拒否反応があって、なんでも小さく、
平和的に、事勿(ことなか)れの楽観論で
体制をとるという、左翼特有の基本姿勢を
持っているからではないだろうか?
だから、東日本大震災そのものを『国家の危機管理』
とか『国難』としてとらえず、都道府県市町村の
首長が担当する、地方自治マターとしての
『ふつうの災害』というカテゴリーだと決めつけ、
昔の自治省とその系列である国土庁長官が
担当する程度の災害と考えようとしたのだろう。」
(p76~78)

「冷却装置が津波で破壊され、過熱した原子炉は、
冷やさなければいけない。・・・
まず最初に『警視庁第一機動隊の高圧放水車』と
発表した。私は思わず『本卦還りか』と失笑した。
・・そもそも警視庁機動隊の放水車は、当時街頭
武装行動を全部にわたって繰り返していた極左
過激派学生たちを解散させるために水平に水を
掃射するもので、仰角はあまりなく、放水の射程は、
せいぜい、50m(現在は100m)、気圧も12気圧。
だからベニヤ板で防御された東大安田講堂の
窓は破れなかった。・・・・
次が、自衛隊ヘリに水を入れた容器を吊るして
空中から原子炉に水を投下する冷却法である。
これも実は、東大安田講堂で屋上に籠城して
いた学生たちに対して用いられた手法だった。
だが実際にやってみると、ホバリングして水を
投下しても自機のローターの風に吹き散らされ
て講堂周辺に落下し、安田講堂を包囲していた
私たちがビショ濡れになってしまい、
催涙ガスも飛散して機動隊に襲いかかるという
事態となり、中止を命じたのである。・・
私は、これらの冷却作戦を菅総理と
千石官房副長官の過去の自分の体験からの
アイデアだと思っている。あれはまさに
東大安田講堂攻めのイメージが、多分放水を
浴びた経験をもつ両氏の脳裏に強烈に
焼きついていたのだろう。・・・・
初めからダメとわかっている決死の接近
放水を命ぜられて全国民全世界注視の中で
失敗に終わった自衛隊や警視庁機動隊の
口惜しさは察するに余りある。・・・」
(p100~101)

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セ氏50度。

2014-07-10 | 短文紹介
読売新聞の「時代の証言者」に登場した
岡崎久彦氏の連載が7月8日で最終回。
25回の連載でした。

最終回の終りはこうなっておりました。


「集団的自衛権の必要を感じたのは、
防衛庁時代の80年頃、米海軍司令官と
話したとき。中東から日本に至る
シーレーンを警備しているのは米第7艦隊
だが、通るタンカーのほとんどは日本に
石油を運ぶ船。インド洋での勤務は、
甲板で監視しているとセ氏50度にもなる
という激務です。一方、自衛隊は
集団的自衛権が認められていないから、
パトロールに参加できない。
集団的自衛権の行使を認め、自衛隊が
パトロールに加われば、国際社会の
大きな信頼を得ることができる。・・
退官後、新聞等で繰り返し訴え、
安倍首相が官房副長官時代から協力して
歴代首相に働きかけてきました。
待ちに待った憲法解釈変更が
35年たって実現しました。・・・・
安保法制懇の審議最終日に私は、
中国の保有する第4世代戦闘機の数が、
極東米軍と自衛隊を合わせた数に
追いつき追い越そうとしている現状を
指摘しました。東アジアの軍事的均衡
から見れば、日米の一体化が死活的に
重要になっていることが分かります。
日米関係を盤石にすること、そして、
連載初回に語ったように
米国情報を的確に把握すこと。
その二つができれば、21世紀も
日本の自由と安全と繁栄を維持できる
と確信しています。」


次の日の産経新聞7月9日の連載
「曽野綾子の透明な歳月の光」は
LNGタンカーへの乗船を書いてます。
その後半を引用。

「ホルムズ海峡の奥の、地球上でも
もっとも気温の高そうなペルシャ湾内で・・
私はこの海域を、日本の10万トンのLNG
タンカーでカタールまで行った。
この湾の周辺には、国家などという概念では
割り切れない勢力がはびこる。・・・
誰でも自分の行動の邪魔になるものは、
自力で排除して当然なのだ。それを
しないのはアホか、ということになる。
・・・
私が乗った船は、日本の化石燃料を
途絶えることなく補給するために、
たえず日本とカタールの間を走っている。
・・・
当時からこうした船の安全を講じてやる
配慮は日本政府になかった。
危険な仕事は人にやらせ、
自分は正義と正論を唱える、のは簡単だが、
戦争で人を死なせるのは悪で、
日本経済の死活問題であるエネルギーの
補給に携わる人の危険は放置していい
という論理は成り立つのか、
私はずっと教えてほしいと思い続けている。」
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こんなもの読めるか。

2014-07-08 | 朝日新聞
今日は歯医者へ行く日だったので、
簡単に読める本ということで、
林望著「文章の品格」(朝日出版社・2008年)
をもってゆく。
ひらくと、こんな箇所がありました。


「私は、かつて小学校高学年相手の
受験塾の先生をしていたことがあります。
このとき、私は生徒たちに一つの課題を
課しました。それは、ともかく毎日欠かさずに、
新聞第一面下のコラム(たとえば朝日新聞
だったら『天声人語』)を、一字一句
間違わないように筆写してくること、
という宿題でした。」(p61)

ちなみに、林望氏は1949年東京生まれ。
ここに、たとえばと断っておりますが、
天声人語が登場していたのでした。

ちなみに、書誌学者である林氏は
この本では、

「もっともっと古典教育を重視したほうが
よい、と私はむかしから思っています。
極論すれば、私は国語という科目は、
古典だけ教えればよいのではないか
というくらいに思うのです。」(p84)

というのが、肝心なところです。


さてっと、WILL8月号の
百田尚樹・井沢元彦対談の最後の方
を引用すると、


百田】 ・・・ただ、朝日新聞も
いまでは発行部数が減っていますからね。
六百万部ないんじゃないですか。

井沢】 私はもっともっと減って
ほしいと思っていますよ。
なんであんな新聞をずっと読んで
いるのか。読んでいる人の気が
しれません。こんなもの読めるか
と叩きつけても不思議ではない。
ずっと読んでいる人が不思議で
しょうがない。・・・(p49)


うん。朝日新聞を購読されている方は
WILLなど読まないのだろうけど、
たとえば、この対談を、
ちらりとでも読んでほしいなあ。

う~ん。林望氏は
いまでも、天声人語を
例にだしたりするのかなあ。

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あらまほしきは先達です。

2014-07-07 | 短文紹介
平川祐弘著「ダンテ『神曲』講義」(河出書房新社)を
つい、腰を据えてから読もうと思っていたら、
ついつい、そのままになっておりました(笑)。

第4回「地獄の門」の講義のはじまりで、平川氏は
こう語りだすのでした。

「すると彼は歩きだした。そして私は彼の後ろに従った。
  (地1歌134行)
 
 こうしてダンテはウェルギリウス先生について出発します。あらまほしきは先達(せんだつ)です。わたしはフィレンツェでもペルージャでもさまざまな先生を先達として・・を習いました。私もこの『神曲』講義で非力(ひりき)ながら先達を勤めさせていただきますが、この先はたしていつまで、どこまで案内できるかわかりません。みなさんもいつまでついてくるかわかりません。しかしともかく行ける限り説明を続けさせていただきます。」(p78)

第8回には

「皆さまはずいぶん注意深い読者として、私の『神曲』講義についてきてくださいました。皆さまが良い聴衆だからこそ私も丁寧に準備してお話し申しているのです。・・」(p170)


そうそう、「まえがき」には
こうあったのです。

「私は青年時代を長くパリで過ごしたせいか、サロンの教養ある男女に明晰に述べる語り方・・を尊んできた。それで話の準備に手を抜くことはなかった。ただ聴衆に小学校・中学校・高等学校以来の知己がまじったことも手伝って、昔の思いでもいろいろ語った。というか、いわゆる脱線もした。それは息抜きというより、おおむね学問批判などの具体的な話である。『神曲』読書にまつわるパーソナル・タッチもあってよいのではないか、いやむしろ必要なのではないか、と考え、学者としての身上話も意図的にまじえた次第である。」(p16)

「今回の書物は『神曲』の流れにそって印象深い場面を網羅的に説明してある。・・・きわめて現代的にわかりやすく面白い学術的な大冊となっているのではないか、とひそかに自負している。カルチャー・センターでの講義の語り言葉を残したのはそのためである。書き言葉に改めず、意図的に教室での口調を保存した。テープを付録につけずとも私の声は伝わるであろう。ただし私の常として、文章は整理してあり、推敲してある。・・・・衒学者の手からダンテをふりほどいて、ダンテを吾が友とし、『神曲』の楽しみを分かちあっていただきたい。・・」(p17~18)



「講義録」というと、思い浮かぶのは
森銑三・柴田宵曲著「書物」(岩波文庫)に
あるこの箇所でした。

「・・国家的にも優秀な講義録の類を発行して、それらの恵まれざる少年に自修の便宜を与えることなども考慮せられるべきではなかろうか。・・・各自が自発的に自己を養って行かれるだけの基礎を作らしむべきである。・・」(p120)


うん。大人のための『優秀な講義録の類』が、
ここにありますよ。
と、まだ半分も読んでいない癖して
嬉しい手応えを感じております(笑)。


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宮本慎也

2014-07-06 | 短文紹介
宮本慎也著「意識力」(PHP新書)を読む。
表紙カバーは重ねて二枚。
カバー写真は肩から上の笑顔。

「ベテランと呼ばれるような年齢になっても、
試合での不安や緊張感から
解放されることはなかった。
開幕戦では毎年、打席で足が震えていた。・・」(p35)

その人が、引退してから語った一冊。

年賀状の箇所は、楽しい。

「若い選手から年賀状をもらうことも多いのだが、
小川(泰弘)の場合は年賀状もしっかりしていた。
『教えてもらったことを生かしてがんばります』と
丁寧な字で書いてあった。
年賀状というのは、選手の性格が見えて面白い。
二軍暮らしが続いている七條祐樹からの年賀状には
『次のステージでの活躍を期待しています』と
書いてあった。正月から『俺の心配をしている暇が
あったら、自分の心配をしろ』と笑ってしまった。」
(p90)

ちなみに、この新書の最後は、というと、

「いつかまた、ユニホームを着てグランドに立ちたい。
それではまた、球場で。」(p207)
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耳バカ

2014-07-05 | 短文紹介
外山滋比古著「国語は好きですか」(大修館書店)
をとりあえず読み終わる(笑)。

楽しい読書なので、薦めたくなるのですが、
どれかひとつ選んで薦めてください。
と言われたら。そんなこと言われないか(笑)。

「聴く・話す」(p66~78)が、いいかもしれない。
この文のはじまりは、

「日本人はもともと耳バカだったのかもしれない。
人の話をきいてもよくわからない。すぐ忘れてしまう。」

うん。身につまされる出だしです(笑)。

p72には、こんな指摘がドキッとする。

「アナウンスは、Attention,pleaseで始まる。
日本語では、『よくご注意ください』の意味だが、
よく見よ、ではなく、よく聴け、という注意なのである。
軍隊用語としては、アテンションは『気をつけ』の
意味だが、よく注意して聴け、ということである。
日本語で、注意、といえば、
しっかりよく見よというニュアンスがつよい。
日本人の耳がノンキになるわけである。」

うん。耳がいたい。
さらに、p74では。

「〈言挙げ〉するのを嫌った日本人である。
スピーチが文章を書く以上に難しいということを
知る人はいまだにきわめて少ない。」

うん。そんなこと思ってもみませんでした。

さて、残りの4頁は、
どのように展開しているでしょうか(笑)。

他の文も、一見さらりとしていて、
著者がまるで、
古典落語の長屋の大屋さんのようで、
先生のお小言を頂戴しながらも、
有益で、読み応えがあります。
足下の細部が、王道へとつながり、
光明を見る思いがします。
じゃなかった、聴く思いがします(笑)。

ということで、
楽しみのおすそ分け。
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それ以後の「天声人語」は。

2014-07-04 | 短文紹介
萩尾望都対談集
「愛するあなた*恋するわたし」(河出書房新社)
の庵野秀明との対談に

庵野】 ・・・・うちの親も、
今はぼくの仕事に反対していません。
朝日新聞に出たり、NHKに出れば親は安心します。
(p129)

ちなみに、この対談は2000年1月1日の雑誌に掲載されたもの。


外山滋比古著「国語は好きですか」(大修館書店)には
「散文」と題する文に、こんな箇所がありました。


「戦後の国語教育で、散文に力を入れた人は
わずかだったが、模範文体を見つけるのに
苦労したようである。結局、新聞の文章を
手本にすることになった。一般記事は
やや特殊であるから、朝刊第一頁下にある
『天声人語』『余禄』『編集手帳』などが
テクストのようになった。・・・・
不思議なことがある。
国語の教育に熱心な先生は、
まわりから尊敬され、ときに有名になるけれども、
その先生に習ったために、国語が好きになり、
やがて国語の先生になるという生徒がすくない
のである。・・・」(p155)


そういえば、国語の先生では、
意外に『天声人語』には、こだわりが
あるのかもしれません。

ちなみに、
坪内祐三著「考える人」(新潮社)の
深代惇郎の箇所に
一読忘れがたい文があります。
うん。以前にも引用したのですが、
幸い、すぐに本がみつかったので、
引用しておきます。

「今の中学、高校の国語(現代国語)の
授業方針はどうなっているのか知りませんが、
当時、私の中学、高校生時代には、国語力を
つけるために『天声人語』を読むことが奨励され
ていました。例えば夏休みには、毎日の
『天声人語』についての二、三百字程度の要約が
課題(宿題ではなく課題だったと思います)で
出されました。私が『天声人語』を熱心に
読むようになったのは、そういう教育方針に
導かれてのことだと思います。(私の家では、
当時、朝日、読売、日経、サンケイ、サンスポ
の五紙を講読し、それまで私が一番熱心に
読んでいたのはサンスポでした)。
それがたまたま深代惇郎に当っていたのですから
(そのこと、筆者が誰であるかということに、
当時の私は、もちろん、無自覚でした――
つまりあくまで匿名コラムとして愛読していたのです)。
それはとても幸福なことでした。
しかし、その結果、『天声人語』イコール
深代惇郎レベルの文章という印象が体に深く
しみついてしまったのは不幸なことでした。
それ以後の『天声人語』はろくなものじゃない。」
(p125)

はい。
「ろくなものじゃない」に、私も同意。
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四種類の世界。

2014-07-03 | 短文紹介
産経新聞7月3日一面は集団的自衛権。
その文の始まりは

「安倍内閣による集団的自衛権の行使容認をめぐる議論で目立ったのは、これに反対するメディアの感情的で恣意的な報道ぶりだった。」
そして2日付けの新聞見出しを引用しております。

「『この暴挙を超えて』(朝日)
『9条破棄に等しい暴挙』(東京)
この中で朝日は『民主主義が、こうもあっさり踏みにじられるものか』と嘆き、東京は『憲政史上に汚点を残す暴挙だ』と決めつけた。ともに、行使容認には憲法改正が必要だとの立場を取っている。だが、憲法9条に関する政府解釈は、国際情勢の変化に伴い変遷してきたのが事実だ。例えば、吉田茂首相(当時)は昭和21年6月、国会で『自衛権発動としての戦争も交戦権も放棄した』と答弁している。その後、29年7月に自衛隊が創設され、同年12月には大村清一防衛庁長官(同)が国会で『国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない』と述べ、政府解釈を大きく転換した。もちろん、別に憲法は改正されていない。両紙は、昨年12月、特定秘密保護法案が成立した際の社説でも『憲法を骨抜きにする愚挙』(朝日)『民主主義を取り戻せ』(東京)と厳しい論調で政権を非難していた。とはいえ、こうした国民の不安と危機感をあおり、世論を動かして自社の主張に政府を従わせようという手法は、もう見透かされているのではないか。・・・」


思い浮かんだのは、吉田博司著「醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!」(WAC)に出てくるこの箇所でした。

「グローバリゼーションとは、こうした民主主義ができない国にまで広がった資本主義のことであり・・・・そうなると、
世界は四種類の国に分かれてしまった。
米国や日本のように資本主義も民主主義もできる国、
ロシアや中国のように資本主義はできても民主主義はできない国、
北朝鮮やイランのように資本主義も民主主義もできない国、
ソマリアやアフガニスタンのように何もできない国
――である。
後ろの三つはほとんど民主主義ではなく独裁主義システムを採用している。韓国は、この一番目と二番目の間を揺れ動いているのである。」(p90~91)

うん。
『民主主義がこうもあっさり踏みにじられる』
中国本土の暴挙を、きちんと報道してくれれば、
私には大変参考になるのに、
朝日新聞や東京新聞には、それはできない。
知らせる事ができない新聞社のことを、
講読者は知らなければいけない。

朝日新聞の扇動を知るのは今でしょ。
コメント (2)
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夏読書。

2014-07-02 | 短文紹介
このGOOブログでは、自分の
1年前の文の記録を、毎日メールで、
あらためて教えてくれるので、
たのしめます。
それに「このブログの人気記事」
ということで、10の記事を、
毎日紹介してくれている。
もう8年になるので、
すっかり忘れている文を、
読んでくださっている方がおられる。
というのを知る楽しみ。

さてっと、
昨年の6月28日は「夏読書」と題して
「うん。今年の私の、夏読書は「竹山道雄」。
水先案内人は平川祐弘氏。」とはじまって
おりました。

はい。今年は平川祐弘氏の本を
とりあえず、古本と新刊本と
みつけると買っております。
そういえば、
平川祐弘完訳の小泉八雲コレクション
という新刊が、出ております。

うん。平川祐弘氏は懐が深い(笑)。

小泉八雲「骨董・怪談」(河出書房新社)
帯には
「ハーン研究の第一人者による
個人完訳・決定版」(2200円・税別)

今年の私の、夏読書は平川祐弘。

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「居丈高」な「もみ手」。

2014-07-01 | 短文紹介
古田博司著
「醜いが、目をそらすな隣国・韓国!」(WAC)
の最後の第5章は、
唯名論・実念論・ウルトラ実念論という区分け
からはじまっておりました。その日本の箇所。

「実念論の国では、すでに空母と戦闘機が
主力の時代に、『戦艦』という言葉だけが
独り歩きして、戦艦大和を実体化してしまう
ような愚かさがある。今の日本のマスコミを
見ていると、そういうのだらけだ。」(p169)

「2013年6月27日、中国は北朝鮮の
金正恩第一書記を招き入れる前に、韓国の
朴槿惠大統領と日朝首脳会談をもった。・・
日本のマスコミは、始めから中韓は日本に
対し歴史認識で共闘するはずだという頭が
あるものだから、実念論の国らしくそれを
次々に実体化してしまう。読売の見出しは
戦艦大和級である。『日本外し、中韓蜜月』
という巨大な見出しが躍り、小見出しが、
『声明に「歴史問題」日本との摩擦念頭』
(6/28)と、ほとんど自己中心的かつ
被害妄想的でさえある。・・・・
北京で取材した記者は、記事の中で中韓の
歴史認識に対立があり、共闘がかなわなかった
事実をちゃんと書いているにもかかわらずである。
産経の黒田勝弘氏(ソウル支局)などは、
こういう社内事情は重々承知の上で、本当のことは
新聞ではなく週刊誌のほうで書く。
【今回の韓中首脳会談について日本ではもっぱら
「日本外し」「日本の孤立化」が指摘されたが、
本質は「北朝鮮外し」である。韓中両国とも、
最大の懸案は北朝鮮なのだ。】(「週刊文春」7/11)
私も、2013年の2月22日の産経新聞『正論』欄
で書いておいたのだが、北朝鮮の緩衝地帯としての
存在価値は、もはやゼロを超えてマイナスになった
ものと見ている。バッファーゾーンは韓国一国で
十分な時代に入ったのだ。
韓国はすでに経済的に半ば中国に飲みこまれた
状態であり、最近では自らそれを歓迎している
節さえ見られる。
国内では日米はもはや落伍勢力であり、それに
代わり新興の中国がこれからの世界をリード
する、これに乗り遅れるなという勢いである。
つまり韓国は、『ヘゲモニー国家の転換』という
超実念論に駆られ、現実を見誤っているのである。
日本は実念論の国だが、東アジアの三カ国は
超(ウルトラ)実念論の国々である。」(~p174)

「これからの国際政治外交の舞台において、
韓国は中国の威を借り日本に対してますます
居丈高な態度をとるようになるだろう。
韓国人がそれが間違いであることに気づくのは、
さらに先の時期ということになる。そのときに
彼らはもみ手をして近づいてくるだろうが、
日本人にそれが拒否できるかが問題である。」(p177)

ふう~。
古田博司氏の文は、端正で切れがあり、
それでもって、よく咀嚼されたところの、
手ごたえを受けます。



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