和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

国語改革の切断効果。

2015-03-16 | 短文紹介
国語改革の新書3冊。

高島俊男「漢字と日本人」(文春新書・2001年)
この第四章は「国語改革四十年」。

小駒勝美「漢字は日本語である」(新潮新書・2008年)
この第六章は「常用漢字の秘密」。

加藤秀俊「なんのための日本語」(中公新書・2004年)
一冊まるまる、加藤氏の国語改革案。

うん。新書3冊で国語改革の変遷を、
垣間見た気分にさせてくれました。


ひとつ引用するなら、一冊目のここかなあ

「戦後の国語改革――かなづかいの変更、
字体の変更、漢字の制限――がもたらした
最も重大な効果は、それ以後の日本人と、
過去の日本人――その生活や文化や遺産――
とのあいだの通路を切断したところにあった。
それは国語改革にかかわった人たちのすべてが
意識的にめざしたものではかならずしもなかった
――かなり多くの国語審議会委員たちは、
技術的なこと程度にしか考えていなかった――
けれども、実際には、思いがけなかったほどの
強い切断効果を生んだのであった。
戦災で地方に疎開していた人たちが都会にもどり、
社会がある程度おちつき、そして知識人たちが、
これはたいへんだ、と事態の重大さに気づいて、
まとまって行動するようになったのは、国語改革が
おこなわれてから十年以上たってからである。・・
知識人たちの戦いは、涙がこぼれるほど
悲惨なものだった。いかにその言うことが
正しくても、論理的に文部省を打ち破って
いても、日本の文化の継続にとって致命的で
あることを論証しても、何の効果もないのである。
勝っても勝っても、敵に傷一つおわせることが
できない。事態をかえることができない。」
(p207~209)
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自宅6畳間で。

2015-03-16 | 書評欄拝見
読売新聞3月15日
気になる書評。


尾崎真理子(本社編集委員)の書評。
松岡享子著「子どもと本」(岩波新書)を
とりあげております。
そこから引用。

「著者は1960年代に米国の公共図書館で
児童室の取り組みを学び、大阪市立中央
図書館の勤務を経て、東京の自宅6畳間で
家庭文庫を開設。74年、子どもと読書を
結ぶあらゆる活動の拠点として『東京子ども
図書館』を創立した。その人の知恵と提言が
本書に結晶している。」

書評の最後も引用。

「本書にあるのは理想論だろうか。
しかし、この理想を貫いて40年、
税金を1円も使わずに、著者は
私立図書館を営んできたのだ。」


水木しげる「人生をいじくり回してはいけない」
(ちくま文庫、680円)。
その短文書評は
こうはじまります。
「御年93歳!水木しげるの生い立ち、
故郷、作品秘話から、戦争体験、そして
死生観までが詰っている。・・・」


毎日新聞書評は
岩間陽子評で
山崎正和「対談天皇日本史」
(文春学芸ライブラリー1296円)

はじまりは、
「こんな日本史の授業を受けてみたかった。」

中頃に、

「夢の授業だ。山崎正和氏が亭主役を務め、
十人の識者を招き、代々の天皇を通じて、
日本の国の形と文化を論じていく。
昭和49年に雑誌『文藝春秋』に掲載された
連載対談を基にしたものであるが、昔の
『文藝春秋』はこんなにもレベルが高かった
のかと仰天した。三十代末の山崎氏の対談相手は、
四十代の小松左京や高坂正尭から東大名誉教授まで。
だが、みな見事に山崎氏の洒脱な議論に組み合って
いく。・・・」


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「すすめ」本。

2015-03-15 | 本棚並べ

本は読みすすめられず、
本棚の、本並べに興じる。
字面に「すすめ」があると、
とどこおる読書から離れて、
3冊の「すすめ」本へ帰る。

福沢諭吉「学問のすすめ」
伊藤正雄「文章のすすめ」
加藤秀俊「独学のすすめ」

そういえば、本棚には

幕内秀夫「粗食のすすめ」
畑村洋太郎「失敗学のすすめ」
山村修「遅読のすすめ」

というのもある。

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拳拳服膺(けんけんふくよう)。

2015-03-14 | 短文紹介
橋本武著「学問のすすめ」(PHP)。
橋本武は1912(明治45)年生まれ。
この本は、2013(平成25)年3月発行。
そして、橋本氏は2013年9月11日死去。

一箇所引用すると、ここかなあ。

「頭は、いくら使っても使いすぎる
ということはありません。
悩みごとを考えるのに頭を使うと
ノイローゼになります。
勉強になら、頭をいくら使っても大丈夫。
私も及ばずながら、好きな勉強を続け、
興味のあることに頭を使ってきたので、
この歳になっても仕事ができるのだと
思っています。」(単行本p115)

そうか、
頭を使って悩みごとを考えては
ノイローゼになるのか。
頭の使い方を教わりました。
拳拳服膺(けんけんふくよう)
させていただきます。

ちなみに、
三省堂国語辞典には
「拳拳服膺」が見あたらない。
新明解国語辞典にはある。
その新明解から引用。
「拳拳」とは、
「うやうやしく ささげ持つことを表わす。」
「・・服膺する」とは、
「人から言われた訓戒などを、いつも忘れず、
またそれにそむかないように心がける」

面白いのは、三省堂国語辞典には
喧喧諤諤(けんけんがくがく)
喧喧囂囂(けんけんごうごう)
が並んで載っている(笑)。
それでもって、そのそばには
拳拳服膺は載っていないのでした。

三省堂国語辞典の
「喧喧囂囂」は
「大ぜいの人が かってな意見を
言って、やかましいようす。
(「けんけんがくがく」はあやまり)」
とあります。

う~ん。もはや
三省堂国語辞典のなかでは、
拳拳服膺する時代はいつからか
去っていたのかもしれない。

(私の持っている三省堂国語辞典と
新明解国語辞典とは、どちらも第四版)
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恋人は福沢諭吉である。

2015-03-13 | 古典
伊藤正雄著「忘れ得ぬ国文学者たち」(右文書院)
の最後に、余録として「わがささやかなる研究歴と
著作歴」という文が掲載されております。

そこから、福沢諭吉が出てくる箇所を引用。

「所詮、近世文学は私の戦前の恋人であり、
終戦を機として、その恋はいたく醒めた。
戦後における新しい恋人は福沢諭吉である。
そうしてその関係は今も続いている。
転向の主な原因は二つあった。
一つは、学生時代以来二十余年間、コツコツと
蓄えた蔵書・資料を戦災で灰燼としたことである。
将来も前と同じ研究を続けるとすれば、
自然死児の齢を数えるような妄執に苛まれなければ
ならぬ。その煩悩を忘れるためには、どうしても
河岸を変える必要があった。
もう一つは、いうまでもなく社会情勢の変化である。
未曽有の敗戦による国土の荒廃と人心の混迷とは、
私をして旧来のいわゆる『国文学』の世界に
晏如たり得ぬものを感ぜしめた。明治以来数十年に
わたって蓄積した国力と国威とを一挙に失い
尽した日本は、あたかも一世紀昔の極東の弱小国に
逆転した観がある。この祖国の回復には、明治初年
の啓蒙思想家、わけても福沢諭吉が抱いたような
広い世界的視野に立った愛国心の自覚が何よりも
肝要である。いかなる大国の威圧にも屈せぬ
自主独立の気風を国民の間に培わなければならぬ。
私が福沢諭吉の研究と福沢精神の普及とを志す
に至った最大の動機は、そこにあったといえよう。」
(p387)

これに関する箇所として
伊藤正雄著「近世日本文学管見」(昭和38年)
にある著者略歴。

足立巻一著「人の世やちまた」(編集工房ノア)
の「拝藤教授・伊藤正雄先生」。

伊藤正雄著「引かれ者の小唄」(春秋社)の
「一身にして二生を経るが如し」。

と並べると、
新しい恋人の意味が、
よりよく理解できて、
興味深かった(笑)。
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教育漢字。

2015-03-12 | 短文紹介
山田勝美著「漢字の語源」(角川小辞典)。
この古本が、200~300円。
他の古本といっしょに購入。
序には、昭和51年とあります。

その序にこんな箇所がありました。
「ついでにわが国の義務教育における
漢字問題について、一言しておかなければ
ならぬことがある。それは小中学校における、
いわゆる『教育漢字』といわれるものの
提出順序についてである。今を去る二十数年前
に種々の要請から、『教育漢字の学年別配当』が
きめられた。当時、漢文教育側から唯一の委員
としてこの作業に参加した著者は、怱怱のうちに
小委員会で決定され、全体委員会にかけられた
この案に対し、その不合理性を指摘して、
練りなおしを主張したが、多数によって
押し切られてしまったいきさつがある。
その後、果して偏傍が後に出て、それを含む
文字が先に出ているといった矛盾が現場から
指摘され、また有力な文字学者からの批判も
出ている。すでにこの学年別配当は定着しつつあり、
今にしてこれを改めるのは影響の及ぶところ甚大
なものであろうが、わが国の漢字教育の将来のため、
文部省当局が英断をもってなるべく早い機会に
善処されることを期待するものである。・・」


そういえば、
加藤秀俊著「常識人の作法」(講談社)で、
文化審議会(旧国語審議会)について語られている。


「・・敗戦後は漢字を全廃せよ、という
むちゃくちゃな占領政策にもとづいて『当用漢字』
1850字が昭和21(1946)年に制定された。
『当用』というのは漢字全廃にいたる猶予期間に
『さしあたり使う』という意味。でも当然のこと
ながらそれは無理ということがわかって、また
『常用漢字』に逆戻り。その後、なんべんも
修正や加除訂正があって昭和56(1981)年には
1945字が『常用漢字』として指定された。・・
これではぐあいがわるい、というので
平成21(2009)年春・・合計2136字になりそう
な気配になってきた。・・・こういう・・風景を
なぜ知っているか、といえばわたしじしんがむかし
この審議会の末席を汚していたからである。
たしか二期つとめた記憶があるが、会議のたんびに、
ああでもない、こうでもない、と意見交換が
おこなわれる。わたしなどは若僧だったから
意見が採用されたわけでもなく、はなしをきいて
いるうちにだんだん意気阻喪してしまったから
エラそうなことはいえないが、いろんな漢字や
表記についてその議論が空中を往来していた
のを記憶している。」(p192~195)


さてっと、
加藤秀俊著「なんのための日本語」(中公新書)
は、この経緯から出来上がった一冊のようです。

その新書あとがきには、こんな箇所。


「わたしじしんの日本語についての意見はどう
みても少数派である。表記ひとつとりあげてみても、
わたしの原則は大多数のひとびととはちがう。
だが、そのことをじゅうぶんご承知のうえで、
文化庁の国語課はこれまで国語審議会や
国立国語研究所評議員会などの場にわたしを
ひっぱりだしてくださった。『国語』と『日本語』
についてのわたしの見解はこれらの刺激によって
まとまってきた部分がすくなくない。それもこれも
ふくめて文化庁には感謝しなければならない。
それに、あまり知られていないことだが、
『カナモジカイ』だの『日本ローマ字会』だのと
いった法人も文部大臣の認可をうけ、文化庁に
所管されて活動している。国語課だって、
じつのところ、『国語』と『日本語』を
どうしたらいいのか思案中なのではないか、
とわたしはおもっている。・・・」


うん。『なんのための日本語』のなかに
紹介された本の、せめて2~3冊でも
読み込んでいきたい、と思う。
以前、そう思って、
そのまま忘れた前科がある。
ということで、
『なんのための日本語』再読に
チャレンジ(笑)。

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文語文の水先案内人。

2015-03-11 | 本棚並べ
昨年読んで興味をもった
三浦勝也著「近代日本語と文語文」。
今年読みはじめた
伊藤正雄の著作。

そうだ。文語文という視点からの
水先案内人を列挙していき、
これからの散漫な読書に
つながりを見出していこうと思います。


三浦勝也

沼波瓊音→伊藤正雄→足立巻一

山本夏彦→藤原正彦

高島俊男

原田種成→橋本武→石井勲

平川祐弘→古田島洋介

丸谷才一

林望

齋藤孝


散漫で守備範囲のみが
ひろがってゆきます。
「文語文」でたどる読書では、
水先案内人として、あとは
どなたが欠かせないのでしょうか?
お教えいただければ、幸いです。

今年は、
伊藤正雄と福沢諭吉を
丁寧に読んでゆければ、
私は満足(笑)。



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橋本流「学問のすすめ」。

2015-03-09 | 短文紹介
新刊で、PHP文庫に
橋本武著「学問のすすめ」が
入ったようです。
そういえば、
単行本で買ってあったと
本棚からもってくる。

第一部「国語力はすべての学問の基本」
からパラリとひらいた箇所を引用。

「高校の授業で桑原武夫の『文学入門』を
テキストに使ったことがあります。・・・
また、古文では受験と全く関係のない
草仮名(そうがな)を授業に取り入れていました。
オリジナルの書体で読むことにより、
古語や古典の世界に近づき、より興味が
わいてくるのではないかと思ったからです。
すると、作文を古文で書いて出してきた
生徒も現れました。・・・
そもそも大学に進学することは人生の目的
ではなく、手段の一つです。受験だけでなく、
人生の途上で出合うさまざまな難問を解決する
力を養うことに意味があるのです。」
(単行本p59)

「はじめに」は、こうはじまります。

「この本の表題をご覧になった壱万円札の
お方が、『ほほう、お前さまもやりなさるのかね』
と、後から私の肩を押して、
『しっかりやりなされよ』と声をかけられて
いるようで、何だか照れくさい気になってしまいます」


この本の第三部に
「いろは歌留多 上方・中京・江戸」とあり、
橋本式いろは歌留多が載っておりました。

最後は、そこから三箇所をピックアップ。

「下手の長談義」(上方・中京)

 話の下手な者に限って長話をする
 ということになりやすいということ。

「習わぬ経は読めぬ」(中京)

 知識もなければ経験もしたこともない
 物事は、やれといわれてもやれるもの
 ではないことのたとえ。


うん。橋本武氏は、江戸と上方だけでなく
なぜ中京も入れたのか?
つい、考えさせられます。
最後は

「楽して楽知らず」(中京)

 のうのうと安楽に暮している者に
 とっては、かえって安楽のありがたみ
 などわかるはずがないということ。
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心をこめた返事を下さった。

2015-03-08 | 書評欄拝見
3月8日の新聞3紙の書評欄拝見。

読売の書評欄で気になった本は
長野浩典著「生類供養と日本人」(弦書房)。
評者は平松洋子。

その書評の最後は

「十年を費やしたこの労作は、
著者が顧問を務める高校の
『郷土研究部』の部活動で、
近くの神社にウミガメの墓を
発見したことに端を発するという。
高校教育の現場の実践が、
日本人の思想のありかたに
分け入る書物の誕生を促したわけで、
その意味でも価値ある一冊だ。」

この書評には、気になる文句がある

「日本人は罪悪感という煩悩に
とことん弱いらしい。」

産経新聞はというと、
中田行彦著「シャープ『液晶敗戦』の教訓」
(実務教育出版)
評者は山崎元(経済評論家)。

書評に
「著者は、長年シャープで太陽電池と
液晶に関わった技術者であると同時に
経営学者でもあり、このテーマを語るに
最もふさわしい方だといえよう。」

書評の最後は

「この種の本にありがちな
『あの社長がダメだった』式の悪口が
一切ないので、失敗の物語なのだが、
読後感は爽やかだ。」


ちなみに産経では
『聞きたい。』欄に猪瀬直樹氏の顔写真。
著書『救出』が取り上げられています。


さてっと、毎日では
鹿島茂氏の書評がある。取り上げたのは、
佐谷眞木人著「民俗学・台湾・国際連盟」。

書評の出だしと、最後を引用。

「『武士道』の著者である新渡戸稲造と
民俗学の開祖・柳田國男。」

「国内では地方再生が叫ばれ、
国外では植民地統治の裏返しである
移民受け入れが大きな問題になっている
今日、非常に示唆に富む一冊である。」


閑話休題。家の少ない蔵書を
あちこちと、本をさがしていると、
忘れていた別の本が見つかったりします
(まあ、探し本は見つかりません)。
その別の本はというと、昨日では
魚返善雄著「漢文入門」(現代教養文庫)
でした。
この文庫の最後に「父魚返善雄の思い出」
として昭子さんの文。
その文の印象深い箇所。

「・・本ができ上がった時の喜び方は、
無邪気と言おうか、素朴と言おうか。
その日は、食卓は白いテーブルクロスで
おおわれる。ビニールは厳禁。そして
ささやかな花。可能ならば野の花。・・
乾杯がすめば新しい本の贈呈式である。
第一冊めは彼を育てた、彼の『おばあさん』の
写真に贈られる。
第二冊めは、この前の著書に、一番
心をこめた返事を下さった方に。
第三冊めは自分の校訂用に。
たとえ、それが五十冊めの著書であろうと、
六十冊めであろうと、この行事には、
いささかの変更もなかった。」


今日から、このブログのカテゴリー欄に
「書評欄拝見」を追加。
書評を読んでも、買うか、どうかは別。
すぐ買いたいと思う本もあり。
すぐ買ってもまったくの未読本もあり。
数年して、この欄を読み直して
ネット古書店へと注文する本も
あるかもしれない(笑)。

それにしても、気になるのは

「第二冊めは、この前の著書に、
一番心をこめた返事を下さった方に。」

という箇所。
こういう情景が、思い浮かばない、
自分の頭の中の殺風景さ。
それが少しでも改まりますように。
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よりかかり。利用し。吸収して。

2015-03-07 | 短文紹介
伊藤正雄著「文章のすすめ」を
ひらいていたら、
丸谷才一著「日本語のために」(新潮社)
への言及がある。
この単行本はもっていない。
さっそく古本で注文。

古書店OffBeat(東京都練馬区練馬)
300円+送料164円=464円

単行本初版(昭和49年)帯あり。
本文はきれい。

パラリとひらき
この箇所を引用。

「日本語にとって漢字と漢語は
欠くべからざるものである。奈良朝以前から、
それによりかかり、それを利用し、
それを吸収して、国語は出来上がつたのだ。
そして中国文の翻訳の技術――
漢文によつて日本語の文体の重要な部分が
形づくられたことは、改めて確認するまでも
あるまい・・・・」(p42)


うん。
とりあえずの、パラリ(笑)。

追記。
しばらく動かなかった、
旧式パソコンがいつのまにか再稼動。
おそるおそるの使用に耐える。
ゆっくりの操作なら
フリーズせずに使えそう。
ありがたい。
まだ、このブログの
書き込みに使えます(笑)。
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ツイッター百四十字。

2015-03-06 | 短文紹介
猪瀬直樹著「救出」(河出書房新社)
を手にしたので、とりあえず、
気になる箇所をひらく。
ちなみに、表紙には
「3・11気仙沼公民館に取り残された
446人」という文字。

p193に

「家族からのメールも届かない。
こちらから打っても返事がない状態に
なってしまった。中央公民館に、
自分の母親と施設の子どもがいることを
知っているのは世界中で自分だけではないか、
とはたと気づいた。そうであれば、
この事態をまずできるだけ多くの人に
知ってもらうしかない。・・
パソコンの前に座り直した。
ツイッターは百四十字という文字制限がある。
その制限の枠のなかでできるだけ客観的な
表現で、起きている事態を緻密にわかりやすく
説明するにはどうしたらよいか、
眼をつむって集中した。・・・
三十分かけて文案ができた。」

p224~

「夜八時ごろNHKが
『東京都のホームページで避難場所を
ご覧ください』とアナウンスしはじめると、
都庁のホームページにアクセスが集中した。
アクセスが集中すると許容量を超えてしまう。
避難場所一覧を見ることができない。
またテレビでも刻々と私鉄や地下鉄の運行
再開時間について報じられることになるが、
街頭にあふれた帰宅困難者にはそうした
情報が届きにくい。
そこで都庁六階の副知事室にいた僕は、
ツイッターで避難場所や地下鉄などの
運航停止と運航再開の情報を流しはじめた。
アクセスできない都庁のホームページの
バイパスをつくった。帰宅困難者向けの
ツイートを夜の八時近くから打ちはじめた。
十一時過ぎ、情報発信が一段落したところで、
気になっていたもうひとつの作業に着手した。
ツイートがどの程度届いているのか、
その結果、帰宅困難者からどういう反応や
要望が求められているのか、僕が使っている
アカウントへのリプライを紙に刷り出した。
帰宅困難者だけでなく被災地からの救難を
求めるツイートも寄せられていた。
そのひとつに眼が釘付けになった。
オフィス家具施行業のステディライズ社長
鈴木修一のアカウントから転送されたもの
であった。僕にはどういう人物なのか、
わからない。・・・・都庁九階の
防災センターに詰めている東京消防庁の
伊藤克巳防災部長を呼び出した。
刷り出した紙を見てもらうためである。
震災でデマ情報が氾濫していたこともあり、
短い文章のなかに盛り込まれた情報の
信憑性を確かめなければいけない。
・・・刷り出したツイートの文面を示した。

『障害児童施設の園長である私の母が、
その子供たち十数人と一緒に、避難先の
宮城県気仙沼市中央公民館の三階にまだ
取り残されています。下階や外は津波が
浸水し、地上からは近寄れない模様。
もし空からの救助が可能であれば、
子供達だけでも助けてあげられませんで
しょうか』

NHKの画面に気仙沼一帯が火の海と
なって燃えている模様が繰り返し映し
出されていた。この短文が事実なら
・・・・」(~p226)


うん。まずはこの箇所を確認したかった。
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随筆とはいえ方丈記。

2015-03-05 | 短文紹介
伊藤正雄・足立巻一著「要説日本文学史」
(現代教養文庫)の古本を注文。

常磐書房(大阪市北区同心)
500円+送料180円=680円

パラリと、方丈記と徒然草の
箇所を読んでみる。


「この二つの作品は、
中世における遁世者文学(草庵文学)の
双璧であるが、その特色は著しく相違する。
方丈記は、随筆とはいえ、首尾一貫した
一種の評論文の形式になっている。
発端に人生の無常を道破し、つぎに
作者自ら体験した天変地異の数々を挙げて
これを例証し、それより自己の経歴を回顧
して、日野山隠遁の由来を述べるとともに、
閑居の情景を描き、最後に草庵生活の
楽しむべきことをいって筆を結んでいる。
その理路整然たる叙述は、従来の国文に
絶えて類例をみなかったところである。
けだし漢文の文章法に学んだのであろう。
文体も、流麗な和文の長所に配するに、
対句・倒句など、漢文の修辞をもってして、
よく律語的効果を収めている。
筆致簡潔、叙事・叙情の明快なこと、
短編ながらまことに名文と評するに足りる。
・・・・」(p86)


私は、この箇所だけでも
読めて、幸せに思います(笑)。
ありがたい。
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核心部分。

2015-03-04 | 短文紹介
産経新聞3月3日に
月刊雑誌「正論」4月号の紹介記事。
短いので全文を引用。


「朝日新聞による慰安婦報道の
責任問題を総括した独立検証委員会
(委員長・中西輝政京大名誉教授)の
報告書の詳報。
朝日新聞自身が組織した第三者委員会は、
一定の批判、問題点を示してはいるが、
核心部分、とりわけ朝日報道がもたらした
国際的な悪影響に関する追及が甘い。
独立検証委ではまず朝日報道を
『プロパガンダ』と捉えた。これは
今まで明確に提示されなかった視点だ。
西岡力東京基督教大学教授は
『朝日の一番の問題はこのプロパガンダ
を2014年8月の段階まで明確に取り消し・
訂正せず放置し・・詭弁を弄し、
日本と先人の名誉を傷つけたことである』
と喝破した。
朝日報道の対外的影響も
福井県立大学の島田洋一教授が
500本以上の米紙記事を精読して検証した。
朝日自身が証言を虚偽だとした
『吉田清治』という固有名詞で米紙を
検索するなどして『影響は限定的だった』
と結論づけた朝日第三者委、林香里委員
(東大教授)の調査方法を批判。
『名前に言及しなくても、明らかに
その証言に依拠ないし参照したと思われる
記事は数多く存在する』とした。
第三者委が海外有識者へのヒアリングで
『架空の強制連行の話は、
日本のイメージに悪影響を与えてはいない』
と結論づけた点にも、
島田氏は『海外有識者』全員の名を挙げ
『私の知る限り、ほとんどが慰安婦問題
で朝日新聞ないし韓国側に近い立場を
取る人々である』。
報道被害を過小評価しようとする
『からくり』が次々明らかにされている
のが痛快だ。(安藤慶太)」

ちょうど、読んでいる
伊藤正雄著「引かれ者の小唄」(春秋社)に
「知る権利と知らせる権利」と題する文が
あり、そこで福澤諭吉の文を引用しておりました。

「福沢諭吉は・・明治26年、自己の主宰する
『時事新報』に、『人間の名誉と言論の自由』
といふ論説を掲げて、新聞人の自戒を求めた。
『人間の名誉は元来無形のものにして、
一たび傷つけらるるときは、これを回復
すること甚だ難し。
・・・・一旦世間に表白するときは、
取返しの付かざるものにして、
これがために非常に信用を害せられ――』

この福沢の警告は、そのまま現代にも
生きてゐる。・・・
無責任なマスコミが撒き散らす各種の
情報公害が、いかに社会を汚染し、
直接間接、国民を毒しつつあるか
・・・」(p21~22)


うん。
福澤諭吉の警告が響く根深さ。
朝日新聞の肩書を背景にした
言論の無責任が
プロパガンダと手を組んで、
国民を毒している。そこから、
果たして、足を洗うことが
朝日新聞自体にできるか。
林香里子東大教授の作文が
朝日の声欄にむかって語られる。

これからの20年30年もプロパガンダに
取り込まれる可能性を秘めながらも、
独立検証委員会の羅針盤を仰ぎたく、
正論4月号を買う。
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自国語に弱くて。

2015-03-03 | 短文紹介
伊藤正雄著「文章のすすめ」前篇の
はしがきに、
『国民が自国語に弱くて、その国の
栄えた例(ため)しはなかろう。』
とあります。

そして、こうあります。

『本書は、それらと選を異にし、
あくまで最大多数の、常民の最大多数の
必要に応ずる文章道を説いたものである。
言い換えれば、日常不可欠な記録・報告・
答案・書簡・挨拶等々の実用文をはじめ、
知的散文ともいうべき短篇の随筆や小論文
などを、いかに正確に、且つ魅力的に書く
かを主眼としている。・・・』


さてっと、
本文の最初に名前が登場しているのは、

『最近、社会学者の加藤秀俊氏は、
今の日本を【稚語(ちご)の時代】と名付けた。
また経済学者の四宮恭二氏によれば、
【文痴(もんち)の時代】だという。・・』

よく見ると、各章ごとに、
それぞれ、違う名前が登場する豪華さ(笑)。
うん。この古本、読めてよかった。
丁寧にきっちりと読んでみます。
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「文字之教」の復刻版。

2015-03-02 | 短文紹介
福沢諭吉著「文字之教」が、
古書現世(東京都新宿区西早稲田)より
今日届く。
「文字之教 復刻版 揃い」
3500円+送料350円=3850円
函入り和本三冊揃い。

流通経済大学出版会より
2000年3月に発行。
その際の値段は揃価12000円+税
となっております。
この古本はきれいで、
新刊そのままでした、
ありがたい。

さてっと、
「復刻版に寄せて」という
パンフレットがはさまっております。
流通経済大学学長・佐伯弘治氏の文。

そのなかから引用。

「・・勿論、私も実用語としての英語の
必要性と、その普及に工夫を凝らさなければ
ならないことについては十分認識している。
しかし、さればといって第二公用語化は、
いささか軽躁であり、甚だ荒唐な議論だと
思う。たしかに、英語を公用語にすれば
国際的な商取引はいくらか便利になるであろう。
だが、それによって、さなきだに乱れている
日本語がさらに荒廃し、日本固有の文化が
衰弱し、国民は掛け替えのない矜持を失う
ことになる。そもそもグローバルスタンダード
にしてからが一体どんな形を指すのか必ずしも
分明ではない。
私は、こんな現代を、変革期ではあるが同時に
迷走の時代でもあると見ている。そして、
こんな時、若し福澤ならばこれをどう判断した
であろうか、と考え、福澤との対話のつもりで、
祭魚洞文庫を訪ねる人たちの誰もが興味を示す
『文学之教』の復刻を思い立ったのである。
福澤は『文学之教』の端書で
『むづかしき字をさへ用ひざれば、
漢字の数は二千か三千にて沢山なる可し。
此書三冊に漢字を用ひたるの数、僅に
千に足らざれども、一と通りの用便に差支なし。
・・・故(こと)さらに難文を好み、其稽古
のためにとて、漢籍の素読などを以て子供を
窘(くるしむ)るは、無益の戯と云て可なり。』
と言っている。・・・・
私は、この『文字之教』の復刻版の刊行が、
多くの人々に、あらためて福澤の人と思想を
学んでいただく縁(よすが)になれば幸いだと
思っている。」

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