おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書13「文学という毒」(青山学院大学文学部日本文学科編)笠間書院

2009-08-19 22:06:32 | つぶやき
 青学の文学部日本文学科の企画による、国際シンポジウムの記録。さすが青学だけのことはあって、日本の近世(時代区分では江戸時代)文学、イギリス文学、中国文学など、それぞれを比較・検討しながら、同時代的に俯瞰しようという試み。
 その話題の中心・視点を「諷刺・パラドックス・反権力」に置いている。
 素材としては「ガリバー旅行記」、秋成の読み本、西鶴などの浮世草子、そして中国の古典(これは時代区分的には古代)を取り上げて、文学そのものの毒(これは同時代的にとどまらず、後々までも共感・共鳴を通して、したたかに人口に膾炙されつつ普遍化?していく、という要素を持つ、とのこと)が多彩に語られ、討議されていく。
 そのリアルな臨場感が伝わってくる感じ。パラドックス、アイロニーを主とする、レトリックの表現(上)の技巧のおもしろさ(言語表現に隠された真意?)をいかにつかみとらせるか、とるかが、作者と読者のせめぎ合いだ、というような、論者たちに共通としてある、確乎とした発言の重さを改めて感じた。
 「文学の毒」を語る、このシンポジウムをある意味で特徴付けた事柄・事件?が掲載されている。
 パネラーの一人・高山宏氏(私にとって興味深い評論家・学者の一人)の、古今東西にわたるうんちくのある発言に、会場から匿名で「高山はパーである」という質問状?が出された。
 これに対する反論が高山氏から語られる。「一番腹が立った」。匿名性と「パーということの理由がない」ことの二点。それを持ち前の諧謔性を元に、自己分析した「ふり」をしつつ「匿名に隠れるこういう卑しい人間はこういう所に来るな」と。
 話はこれにとどまらず、他のパネラーも終わりの方で補足する。
(長島)「私も高山さんへの非難中傷についてあれが毒だと思っているなら、今日の議論はさっぱりわかっていないということだ。要するに、いやしい中傷と毒とは全く別物です。」
 さらに(富山)「学生たちがブログで使う言葉には、もうレトリックなんていうものはほとんどない。直接的に相手を非難する。それで自分の名前を隠している。この文章(「(高山は)パーである」)を見て瞬間的に感じたのは、ブログの文体です。声を荒げたくなる・・・。」
 最後に(篠原)「同感です。熱くなってきました(笑)・・・」
 還暦を迎える(迎えた)論者が丁々発止とやりあう面白い話題でした。その場にいた、若き30代のイギリスの学者はこのとき、どのような感想を持ったのでしょうか?
 
コメント
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