おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書5「予告された殺人の記録」(G・ガルシア=マルケス)新潮社

2009-08-09 19:39:55 | つぶやき
 1981年に発表された作品。
 「町中の誰もが充分に知っていた。しかも、当の犯人たちを含めた誰もが阻もうとしていたのだ。その朝、彼が滅多切りにされることを。たった一人、彼だけを除く誰もが……。運命という現実。その量り知れぬ糸模様の全貌に挑んだ中篇。」
 この作品は実際に起きた事件をモチーフにして書かれたものであるが、あまりにも描写が精緻であったために、事件の真相を知っているのでは、と当局に疑われたという逸話を持っている。
 マルケスは1928年、南米・コロンビア、カリブ海沿岸にある人口2000人ほどの寒村アラカタカ生まれ。
 60年代、日本でも、特に『百年の孤独』は、大江健三郎や筒井康隆、池澤夏樹、寺山修司、中上健次など多くの作家に影響を与えた。
 1982年10月21日、ラテンアメリカでは4番目となるノーベル文学賞受賞。受賞の理由としては、「現実的なものと幻想的なものを結び合わせて、一つの大陸の生と葛藤の実相を反映する、豊かな想像の世界を創り出した」こと。
 民衆の意識や思考、共同体のメカニズムを複眼的に把握する。これが、マルケスの作品の支柱となっている。この作品は、休暇で戻ってきた〈わたし〉さらに町を再訪した〈わたし〉というかたちで内側からのまなざしと同時に外からのまなざしを確保している。 
 
 自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。彼はやわらかな雨が降るイゲロン樹の森を通り抜ける夢を見た。夢の中では束の間の幸せを味わったものの、目が覚めたときは、身体中に鳥の糞を浴びた気がした。「あの子は、樹の夢ばかり見ていましたよ」と彼の母親、ブラシダ・リネロは、二十七年後、あの忌まわしい月曜日のことをあれこれ想い出しながら、わたしに言った。
 モデルとなる事件は1951年1月22日。場所は当時彼の家族が住み、彼もある時期暮らしたことのある田舎町。それから30年後、作品として結実した。
 書き出しからも分かるように、時間の処理の仕方に特徴がある。様々な過去時制を用いてモザイクのように入り組んだ過去を作り出している。
 共同体の祝祭の儀式(婚礼)、しかし、その娘が汚れていたために共同体の名誉は失われ、その名誉回復のための儀式が双子の兄弟によるサンティアゴ殺害。
 広場、群衆、ナイフを持つ男と素手の男・・・。一気に読み通した。
 
 わたしの叔母のウェネフリーダ・マルケスは、彼がしっかりした足取りで自分の家を目ざし、古い河岸の階段を下りるのを、河向こうの家の中庭で鰊の鱗を落としながら見ている。
 「サンティアゴ!」と彼女は彼に向かって叫んだ。「どうしたの」
 サンティアゴ・ナサールは、それが彼女であることが分かった。
 「おれは殺されたんだよ、ウェネ」彼はそう答えた。
 彼は最後の階段でつまずいて転んだ。が、すぐに起き上がった。「まだ、腸に泥がついたのを気にして、手でゆすって落としたほどだったよ」と叔母のウェネはわたしに言った。・・・

 なお、まったくの余談だが、「ガルシアマルケス」という人気ファッションブランドがあって、可愛い犬のロゴが印象的で、中でもバックは一番の人気商品だそうだ。
 
コメント
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