おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書14「記憶の中の幸田一族(青木玉対談集)」講談社文庫

2009-08-20 20:58:07 | つぶやき
 楽屋話というか、内輪話というのは、興味を持っている人には最高に面白い。まして、少しでも内情を知っていて、さらにもっと、という場合には・・・。
 しかし、それを第三者に聞かせたり、読んで貰うとなると、話すのはちょっと引けるのが、一般世間の人ではないか。
 有名人ともなると、TVや雑誌などで、故人にまつわる「思い出話」を語る、連れ合いや子供、孫、個人的なつながりのあった関係者も多い。中には、まだ生きている当の本人を目の前にして、暴露的に私生活を話すという露悪的な趣味の番組もあるが。
 本人や家族、あるいは事件、事故に全く無関係な人には、それが何なの? という感じもしないでもないが、実際に見たり聞いたり読んだりしているうちに引き込まれてしまうのも、事実。これが不思議な心の変化。
 ついつい「へえ、そういうことだったのか。そんな人物だったのか。さぞかし大変だったろうな、周りの人間は・・・」などと思いつつ、我が身や周りの人物に当てはめてみたりして、より親近感を持ったりする。
 そんな一つが、この本。あの文豪にしてこの子あり、この孫あり、という感じで。
また対談相手も、文豪に関わっているそうそうたるメンバー。これで、話がはずまないわけがない、読者に興味を持たせないわけがない。
 明治の「文豪」幸田露伴とその娘「文」そしてその孫の「玉」。孫の青木玉さんが祖父や母、祖父の連れ合い(二人の祖母)、曾祖父(母)また大叔父や大叔母など、一族の人物像を通して、文豪を取り巻く人間模様を語っている。
 特にいかに「女は剛(強)かった」かが、興味深く語られる。文豪も形無しの世界。まして、実の孫ともなると、長い時代を経て、客観的に語ることも出来るのだろう。
 これが、赤の他人によって、露伴の私生活や性情を根掘り葉掘り描いたら、それこそ、身内眷属から顰蹙を買ってしまうだろう。
 ということで、露伴の小説などを少しかじり、幸田文の文章に少しばかり接し、孫の文章にも接したことのある人にとっては、再確認できる内容。
 初めての人には、こんな家族があったのか、というような驚き・・・。そういう多面的に楽しめる本であった。読みながらくすくす笑みがこぼれるような対談のすばらしさ(妙)も。
コメント
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