濫読という感じの読書の仕方。今回は、題名が「とんでも」本にあやかったようで、中身は「真面目な」内容の本。
一時期、「品格」というネーミングがはやって、「○○の品格」という本がめったやたらに出たり、「脳内革命」がはやると、「脳内○○」が出回る。内容的には、どうも、というものが多いですが。出版界も苦労しているのですね。
実は、とんでも本の類は好きでして、(空想)科学批判など面白く読んでいます。そこで、ついつられて(?)手にした本が、これ。江戸幕藩体制の初期の頃の法律集。
といっても、近代社会のように司法・立法・行政などに区分された法体系ではないのは、当然。幕府(お上)からのお達し、お触れ、すなわち上意下達の徹底ぶりが描かれている。
その内容が、実に多彩。本の中では、おそらく一番の「とんでも」と表現したかった法律は、五代将軍綱吉の「生類憐れみの令」だったのでしょう。
「諸人が仁愛の心を持つようにと常々(綱吉公は)思われて生類憐れみの儀をたびたび仰せ出されました。それなのに橋本権之介という者が犬を殺し、不届きなので死罪にします。・・・」
「熊・猪・狼が家畜を襲い、これを追い払うときには怪我をさせぬように」
「犬や猫が鳥獣を襲ったり、互いに噛み合ったりしていたら、痛くないように引き分けること」
このことで、筆者があげた例では、霊岸島の七左衛門は鶏の雛を二匹飼っていたところ、大家の猫が来て一羽を食ってしまった。さらにもう一羽を食おうとする猫を捕まえ、地に打ち付けて殺してしまった。これで江戸十里四方追放となった、という。(ま、「大家の猫を」ということが厳罰になったとも思えますが)
「生きた魚鳥の売り買いは禁止。ただし、鶏、あひる、唐鳥は放しても餌がないので飼い続けること。鶏、あひるは飼うべきですが、卵はとらずにひよこを育てること」
実子を得たいという綱吉の思いとこうすれば授かるという思い込みからでたお触れなので、どんどんエスカレートしていったわけです。たしかに「とんでも」ない法律でした。
こうして人を苦しめた綱吉も、ついに実子を得ぬままこの世を去ります。養嗣子となった家宣は、速やかにお触れを出します。「生類の儀は、今後おかまいなしとします」
いずれにしても、江戸は厳罰主義でした。お触れに背くと、死刑の種類も、鋸引き、磔、獄門、火罪、斬罪、死罪、下手人とありました。
その他にも、身分刑、敲き、入れ墨という身体刑、遠島や追放、戸〆や押込(謹慎刑)などがあって、どんな犯罪がどれほど幕府にとって危険かの判断がそのまま刑のランクに反映されています。主殺し、火付けや強盗などは極刑になるのは当然の時代です。たとえば、親が焼け死ぬのを捨て置くと「死罪」。
その他、微に入り細に入り、江戸庶民の生活の仕方についてまで(ゴミ、打ち水の仕方・・・)罰則を設けて管理していくわけです。その任に当たったのが、町奉行、町年寄、町役人、・・・そして五人組制度。
筆者も後書きに書いているように、この本で扱っているのは、江戸幕府が開かれてから八代将軍のころまでの「法律集」。いわば草創期から安定期まで。
幕藩体制が揺らぎ始めて、幕府崩壊という混乱期における法律集(体制を何とか維持していこうとする)もぜひみたいものです。
また、原文を添えてあると、もっと参考になり、興味深くなったと思いますが。
一時期、「品格」というネーミングがはやって、「○○の品格」という本がめったやたらに出たり、「脳内革命」がはやると、「脳内○○」が出回る。内容的には、どうも、というものが多いですが。出版界も苦労しているのですね。
実は、とんでも本の類は好きでして、(空想)科学批判など面白く読んでいます。そこで、ついつられて(?)手にした本が、これ。江戸幕藩体制の初期の頃の法律集。
といっても、近代社会のように司法・立法・行政などに区分された法体系ではないのは、当然。幕府(お上)からのお達し、お触れ、すなわち上意下達の徹底ぶりが描かれている。
その内容が、実に多彩。本の中では、おそらく一番の「とんでも」と表現したかった法律は、五代将軍綱吉の「生類憐れみの令」だったのでしょう。
「諸人が仁愛の心を持つようにと常々(綱吉公は)思われて生類憐れみの儀をたびたび仰せ出されました。それなのに橋本権之介という者が犬を殺し、不届きなので死罪にします。・・・」
「熊・猪・狼が家畜を襲い、これを追い払うときには怪我をさせぬように」
「犬や猫が鳥獣を襲ったり、互いに噛み合ったりしていたら、痛くないように引き分けること」
このことで、筆者があげた例では、霊岸島の七左衛門は鶏の雛を二匹飼っていたところ、大家の猫が来て一羽を食ってしまった。さらにもう一羽を食おうとする猫を捕まえ、地に打ち付けて殺してしまった。これで江戸十里四方追放となった、という。(ま、「大家の猫を」ということが厳罰になったとも思えますが)
「生きた魚鳥の売り買いは禁止。ただし、鶏、あひる、唐鳥は放しても餌がないので飼い続けること。鶏、あひるは飼うべきですが、卵はとらずにひよこを育てること」
実子を得たいという綱吉の思いとこうすれば授かるという思い込みからでたお触れなので、どんどんエスカレートしていったわけです。たしかに「とんでも」ない法律でした。
こうして人を苦しめた綱吉も、ついに実子を得ぬままこの世を去ります。養嗣子となった家宣は、速やかにお触れを出します。「生類の儀は、今後おかまいなしとします」
いずれにしても、江戸は厳罰主義でした。お触れに背くと、死刑の種類も、鋸引き、磔、獄門、火罪、斬罪、死罪、下手人とありました。
その他にも、身分刑、敲き、入れ墨という身体刑、遠島や追放、戸〆や押込(謹慎刑)などがあって、どんな犯罪がどれほど幕府にとって危険かの判断がそのまま刑のランクに反映されています。主殺し、火付けや強盗などは極刑になるのは当然の時代です。たとえば、親が焼け死ぬのを捨て置くと「死罪」。
その他、微に入り細に入り、江戸庶民の生活の仕方についてまで(ゴミ、打ち水の仕方・・・)罰則を設けて管理していくわけです。その任に当たったのが、町奉行、町年寄、町役人、・・・そして五人組制度。
筆者も後書きに書いているように、この本で扱っているのは、江戸幕府が開かれてから八代将軍のころまでの「法律集」。いわば草創期から安定期まで。
幕藩体制が揺らぎ始めて、幕府崩壊という混乱期における法律集(体制を何とか維持していこうとする)もぜひみたいものです。
また、原文を添えてあると、もっと参考になり、興味深くなったと思いますが。