8月15日.64回目の終戦記念日。戦争当時の日本・日本人のありようについての新たな、そして改めての追跡や発見がまだまだ行われている。
直接戦争を知る世代が高齢化し、亡くなっていく中で、こうした検証を通して平和を考えていくことは大事なことだ。それは、ただの懐古趣味ではなく、破壊的な戦禍を再び繰り返さないことへの教訓を得ることだ。
この本は、副題に、「若者たちと見る国策紙芝居の世界」とあるように、日中戦争、アジア太平洋戦争の時期、当時の日本政府が国民にその戦争の正しさを訴え、国民を戦争へと動員するために作られた「国策紙芝居」のいくつかを大学生に紹介し、感想と議論(留学生との)をまとめてある。
筆者紹介によると、筆者は1947年生まれ、「日中現代史研究家、紙芝居師」とある。実際に紙芝居を実演することへの著書も多い。この本も、実際に学生の前で実演したもの。
「絵を次々に引き抜いて語る」という紙芝居。子ども相手の駄菓子を売って紙芝居を見せる行商人、紙芝居屋さん。語り口が巧妙で、大道芸人の一人だった。
子どもの頃、近所の空き地にやってきた紙芝居屋さん。ソース煎餅(?)とか型飴(?)を買っては、見たことがあります。「黄金バット」だったか何だか忘れたけれど・・・。
取り上げられた作品は、『フクチャントチョキン』『拳骨軍曹』『ガンバレコスズメ』『櫛』など6編。それぞれ実演したあとで、大学生の議論を紹介している。
それぞれの紙芝居には筆者の副題があって、「さあ、戦争をはじめよう!」「優しいお父さんが戦死なさっても・・・」「勇敢な日本兵、卑劣な支那兵を打ちのめす!」など。
「見てわかる」「共感を生む」という紙芝居の特徴(感情移入しやすい)が生かされて、新聞、雑誌、演説などになじめない幼児、青少年にとどまらず、労働者や農民にふさわしい「上位下達」のメディアとして、日本全国、さらに台湾や朝鮮、中国沿岸部、東南アジアにも広められていった。
最初に取り上げた作品は、戦費調達のための戦時国債の宣伝。「フクチャン」が竹の筒を貯金箱代わりに、お金を貯めてお国のために役立とうという話。それにおじいちゃんが協力するという。(戦後は、紙切れ同然になってしまった。)
次の紙芝居は、拳骨で支那兵を殴り殺した勇敢な軍曹の話。内地からの小学生からの慰問の手紙に励まされ、負傷しても果敢に敵兵と闘い勝利する。
『櫛』は、貧しい中で懸命に働く母と息子二人の「美談」仕立て。貧しさで形見の櫛を売って子ども学資にした母に対して出征した息子が櫛を送る。その息子のことば「お母さんは日本の兵隊がなぜ強いか知っていますか。それは、みんながお母さんのことを思っているからです」・・・
それぞれの紙芝居について大学生が感想を述べ合い、議論することに。その中身は、ぜひ見て欲しい。
特に、『櫛』は、現代の学生達の中には、「母子の愛に感動した。今の時代にも通用する。」「母の強さ」「親子の絆」などと好意的な感想を述べる者も。また、中国からの留学生の中にも、自分の母や祖母を思い浮かべた者もいる。
しかし、こうした美談とプロパガンダ(戦争賛美)の二面性を見て取る学生も多くいた。そこに、「紙芝居」の持つ特性が指摘できようか。
こうした紙芝居による国民意識感化運動(戦争遂行、戦争美化・・・)が大々的に繰り広げられいた事実。もし自分が、当時、少年であったならば、いったいどういう行動をしていただろうか。「なぜあの無謀な戦争に取り込まれたのか」「なぜ反対の声や行動がなかったのか」など、当時の国民を一方的には批判できない。ここに、戦時体制下の恐ろしさを感じた。
今のどこかの国民もそうさせられているのではないか。またどこかの組織もそうなっていて、一人一人、まさに忠実な先兵として「立派に」働いているのはないか、とも思った。
直接戦争を知る世代が高齢化し、亡くなっていく中で、こうした検証を通して平和を考えていくことは大事なことだ。それは、ただの懐古趣味ではなく、破壊的な戦禍を再び繰り返さないことへの教訓を得ることだ。
この本は、副題に、「若者たちと見る国策紙芝居の世界」とあるように、日中戦争、アジア太平洋戦争の時期、当時の日本政府が国民にその戦争の正しさを訴え、国民を戦争へと動員するために作られた「国策紙芝居」のいくつかを大学生に紹介し、感想と議論(留学生との)をまとめてある。
筆者紹介によると、筆者は1947年生まれ、「日中現代史研究家、紙芝居師」とある。実際に紙芝居を実演することへの著書も多い。この本も、実際に学生の前で実演したもの。
「絵を次々に引き抜いて語る」という紙芝居。子ども相手の駄菓子を売って紙芝居を見せる行商人、紙芝居屋さん。語り口が巧妙で、大道芸人の一人だった。
子どもの頃、近所の空き地にやってきた紙芝居屋さん。ソース煎餅(?)とか型飴(?)を買っては、見たことがあります。「黄金バット」だったか何だか忘れたけれど・・・。
取り上げられた作品は、『フクチャントチョキン』『拳骨軍曹』『ガンバレコスズメ』『櫛』など6編。それぞれ実演したあとで、大学生の議論を紹介している。
それぞれの紙芝居には筆者の副題があって、「さあ、戦争をはじめよう!」「優しいお父さんが戦死なさっても・・・」「勇敢な日本兵、卑劣な支那兵を打ちのめす!」など。
「見てわかる」「共感を生む」という紙芝居の特徴(感情移入しやすい)が生かされて、新聞、雑誌、演説などになじめない幼児、青少年にとどまらず、労働者や農民にふさわしい「上位下達」のメディアとして、日本全国、さらに台湾や朝鮮、中国沿岸部、東南アジアにも広められていった。
最初に取り上げた作品は、戦費調達のための戦時国債の宣伝。「フクチャン」が竹の筒を貯金箱代わりに、お金を貯めてお国のために役立とうという話。それにおじいちゃんが協力するという。(戦後は、紙切れ同然になってしまった。)
次の紙芝居は、拳骨で支那兵を殴り殺した勇敢な軍曹の話。内地からの小学生からの慰問の手紙に励まされ、負傷しても果敢に敵兵と闘い勝利する。
『櫛』は、貧しい中で懸命に働く母と息子二人の「美談」仕立て。貧しさで形見の櫛を売って子ども学資にした母に対して出征した息子が櫛を送る。その息子のことば「お母さんは日本の兵隊がなぜ強いか知っていますか。それは、みんながお母さんのことを思っているからです」・・・
それぞれの紙芝居について大学生が感想を述べ合い、議論することに。その中身は、ぜひ見て欲しい。
特に、『櫛』は、現代の学生達の中には、「母子の愛に感動した。今の時代にも通用する。」「母の強さ」「親子の絆」などと好意的な感想を述べる者も。また、中国からの留学生の中にも、自分の母や祖母を思い浮かべた者もいる。
しかし、こうした美談とプロパガンダ(戦争賛美)の二面性を見て取る学生も多くいた。そこに、「紙芝居」の持つ特性が指摘できようか。
こうした紙芝居による国民意識感化運動(戦争遂行、戦争美化・・・)が大々的に繰り広げられいた事実。もし自分が、当時、少年であったならば、いったいどういう行動をしていただろうか。「なぜあの無謀な戦争に取り込まれたのか」「なぜ反対の声や行動がなかったのか」など、当時の国民を一方的には批判できない。ここに、戦時体制下の恐ろしさを感じた。
今のどこかの国民もそうさせられているのではないか。またどこかの組織もそうなっていて、一人一人、まさに忠実な先兵として「立派に」働いているのはないか、とも思った。