おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

133 京成電車・白髭線の跡を歩く 

2009-08-28 23:35:40 | 鉄道遺跡
 さっそく歩いてみました、白髭線の跡をたどって(「鉄道廃線跡を歩くⅨ」P89~92)。
 現在の京成押上線の八広寄りの踏切(前に掲載した場所)からスタートして、曳舟川通りを渡り、「長浦駅」跡付近。そこから、ごみごみした住宅街の中、行ったり来たりしながら路地裏を歩いて、水戸街道に出ました。
 そこから、道路の向かい側の駐車場に。正面の民家から少し南側に曲線を描いて住宅が並んでいます。たしかに線路跡地という土地の形状に合わせて並んでいるようです。
 この辺りから、東武線を跨ぐためにちょっと用地が広くなって勾配になって(土手状)玉の井駅となりますが、場所は、特定できませんでした。
 東武線・東向島駅(旧玉の井駅)の北西の高架線脇の路地に、橋台の基礎部分の鉄筋が残っている、とありましたが、残念ながら確認できず。
 ここから一直線に線路は続いていたようです。大正通り(商店街)の道の少し南側の路地を進むと、「長寿庭園」。狭い道路と住宅が線路の幅のまま西に向かって行きます。このあたりは、確認できます。
 大正通りの南側に沿って建てられている「白髭橋病院」。その南側に沿って細長い敷地があり、そこに(南側の明治通りのすぐ北側)終点の白髭駅があった、という。たしかに工場・住宅が直線に並んで建てられているのがわかります。
 また、旧白髭駅のすぐ西側を通る墨堤通りからの駅への入り口の路地と、駅に隣接されていた公設市場(現在は、個人商店が建ち並ぶ一画、線路があった当時からの八百屋さんも健在)も確認できました。
 写真は、終点・白髭駅手前の線路跡。左側のガチャポンの工場と細い通路が線路跡。
 改めて昭和22年の航空写真(goo)を見ると、一面、焼け野原の中に線路跡が点々と浮かび上がっていることに気づきました。
 解説書を頼りの歩いての探索でしたが、気になっていたことが晴れたような、何となくすっきりした気分になりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする