源氏物語入門 〈桐壺巻〉を読む 著者 吉海 直人
「そうなると、藤壺(桐壺帝后)・梅壺(冷泉帝后)・明石姫君(今上帝后)と、藤原氏ならぬ后の連続がいかに異常であり、現実(理想)離れしているかが容易に納得できるであろう。これは明らかに藤原氏に対する批判なのである。」(p160)
小説もドラマもフィクションであり、設定は現実や作者そのものとは一応無関係のものという前提が置かれている。
ところが、世界最古の長編小説といわれる源氏物語においても、設定そのものが現実の政治家(藤原氏)に対する批判となっていた。
そういえば、ドラマの「半沢直樹」も、明らかに政治家と官僚を悪者扱いする一方で、民間銀行を正義の味方として描写していたのが思い出される(民は善?)。
こんな風に、小説家(あるいはテレビ局)は、フィクションの名を借りて現実を批判し、あるいは自分を正当化するわけである。
「そうなると、藤壺(桐壺帝后)・梅壺(冷泉帝后)・明石姫君(今上帝后)と、藤原氏ならぬ后の連続がいかに異常であり、現実(理想)離れしているかが容易に納得できるであろう。これは明らかに藤原氏に対する批判なのである。」(p160)
小説もドラマもフィクションであり、設定は現実や作者そのものとは一応無関係のものという前提が置かれている。
ところが、世界最古の長編小説といわれる源氏物語においても、設定そのものが現実の政治家(藤原氏)に対する批判となっていた。
そういえば、ドラマの「半沢直樹」も、明らかに政治家と官僚を悪者扱いする一方で、民間銀行を正義の味方として描写していたのが思い出される(民は善?)。
こんな風に、小説家(あるいはテレビ局)は、フィクションの名を借りて現実を批判し、あるいは自分を正当化するわけである。