偶像の薄明 著者 ニーチェ
「私自身ギリシアの諺を使って「沼を動かす」と呼んでゐるものを、ワグネリアンはしまひにはリズミカルだと呼ぶようになる。」(p53)
古代ギリシャの格言に、「カマリナ沼をかき回すなかれ」というのがあるらしい。
ちなみに、これはエラスムスの「痴愚神礼讃」の中でも引用されているそうだ(■「カマリナの沼はかき回さず」)。
カマリナ沼の泥は瘴気を生じさせるとされており、かき回すと病気を発生させてしまう。
だから、かき回さず、黙って通り過ぎるのが賢明だというのである。
ニーチェは、ワーグナーの音楽は「沼を動かす」ものであり、「趣味の腐敗」を生むものであると厳しく批判している。
言われてみれば、人間というものは、ワーグナーに限らず、ちょっと不気味な、腐敗臭のあるものに惹かれる傾向があると思う。
これを、フロイト先生ならば「死の欲動」と呼ぶことだろう。
もっとも、人間の暗部に切り込む精神分析学や文化人類学(民俗学も含め)などは、おそらく「カマリナの沼をかき回す」学問なのかもしれないので、こういう指摘をすること自体控える方がよいのかもしれない。
「私自身ギリシアの諺を使って「沼を動かす」と呼んでゐるものを、ワグネリアンはしまひにはリズミカルだと呼ぶようになる。」(p53)
古代ギリシャの格言に、「カマリナ沼をかき回すなかれ」というのがあるらしい。
ちなみに、これはエラスムスの「痴愚神礼讃」の中でも引用されているそうだ(■「カマリナの沼はかき回さず」)。
カマリナ沼の泥は瘴気を生じさせるとされており、かき回すと病気を発生させてしまう。
だから、かき回さず、黙って通り過ぎるのが賢明だというのである。
ニーチェは、ワーグナーの音楽は「沼を動かす」ものであり、「趣味の腐敗」を生むものであると厳しく批判している。
言われてみれば、人間というものは、ワーグナーに限らず、ちょっと不気味な、腐敗臭のあるものに惹かれる傾向があると思う。
これを、フロイト先生ならば「死の欲動」と呼ぶことだろう。
もっとも、人間の暗部に切り込む精神分析学や文化人類学(民俗学も含め)などは、おそらく「カマリナの沼をかき回す」学問なのかもしれないので、こういう指摘をすること自体控える方がよいのかもしれない。