Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

唯一の共同作品(2)

2022年11月17日 06時30分57秒 | Weblog
 白水社の「勝手にしやがれ」は、注釈は付いているが日本語訳は付いていないという、やや使いにくいシナリオ教材である。
 なので、DVDを観ながらフランス語のセリフと日本語訳を照合する作業が必要になる。
 もっとも、映画館とは違い、疑問が生じれば停止して繰り返し確認できるので、DVDは助かる。
 dégueulasse が最初に出て来るのはp14で、「正午までに5000フラン用意してくれないか?」と無茶な要求をするミシェル(ベルモンド)に対し、彼のガールフレンド(台本にはFilleとしか書かれていない)が放った次のセリフ:
 ”Je l'aurais parié. T'es dégueulasse, Michel.” (そう来ると思ったわ。あんた最低、ミシェル。)
である。
 次に登場するガールフレンドがパトリシア(ジーン・セバーグ)で、アメリカ人留学生のためフランスのこともフランス語のこともよく知らない女性という設定である。
 何しろ、les Champs (シャン・ゼリゼの略称)について、「『シャン』って何?」とミシェルに訊いてくるレベルなのである。
 それどころか、ゴダール監督によれば、パトリシアは「死を考えない若い女性」であり、世界についてまるで無知である。
 そういうわけで、パトリシアはひたすら”Qu'est-ce que ~ ?”(~って何?) という、事物の「意味」を問う質問を連発し、ミシェルはこれに答えるという、不思議な会話が続く。
 ゲーテの「何でも知らないことが必要で、知っていることは役に立たない。」という言葉を思い出させるようなやり取りである。
 生きるためには、(とりわけ自分の運命を)「知らないこと」が必要である。
 対して、監督によれば、ミシェルは「死を考える青年」であり、「知ってしまった」人間である。
 警官を殺してしまい、やがて死ぬという自らの運命を知ってしまったミシェルは、パトリシアの問いに対し、ひたすら事物の「定義」をもって応えることを余儀なくされる。
 ここでの「定義」は、事物に固定された意味、すなわち「死」を与えることに等しい。
 かくして、二人の会話は、「生の審問」と「死の宣告」という対を成すことになる。
 
コメント
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