法律時報2022年6月号 ロシアのウクライナ侵攻と日本国憲法9条……木庭 顕
「対するにウクライナ側は「自由を死守する」と言う。西ヨーロッパでも、「自分たちの自由な社会が脅かされた」という危機意識が非常に強い。この場合、「自由な社会」は冷戦時代のニュアンスを欠く。「自由な」経済体制のことではない。むしろそれならばロシアも合格であり、まさに冷戦終結後この古い基準でロシアは「西側」に受け容れられてきたのである。ところが、今この受け容れは反省に晒されている。受け容れてきた、ないし利用してきた、ないし依存してきた、「オリガルヒ」を真っ先に追放する動きに出た。これが私的軍事組織、そしてその極大値としての今回の侵攻軍事集団、と直結しているということが理解されているのである。ということは、「オリガルヒ」を受け容れてきたのとは別の「自由な社会」が形成されてきていた、ということであり、これが今回のロシアの軍事行動と全面対決を辞さないのである。」
「畢竟、新しい自由の社会の正体は一体何か、が鍵を握る。しかしこれを分析する用意は今のところ私にはない。ただ、大量の専門技術職層、およびこれと結びついた芸術家ないし芸術関連専門職層、そして独立度の高いマネージャー層、が新しい階層の中核を担っているということは言える。彼らは高等教育(次第に博士課程をデフォールトとしつつある)の産物であり、国境を全く越える。1990年代からこのような層が形成されるという見通しがあり、各国が高等教育に力を注いだ。しかしリーマンショック等により言わば馬脚を現わした側面もある。」(p65~66)
例によって鋭い洞察であるし、今後の中国の動向を見極めるうえでも参考になるだろう。
今や「新しい自由な社会」こそが希望の光なのだが、これを支える層は次第に「博士課程をデフォールトとしつつある」そうである。
個人的に気になるのは、「法務博士」はこの「博士」に含まれるかどうかという点である。
同じ「博士」でも、「法務博士」と「法学博士」は、おそらく格段の違いがあると思うからである。
「大学全入時代」突入か 河合塾予想、今冬の入試から 浪人さらに減
「これまでの平均的な定員総数の増加率と志願者数の減少率、18歳人口に対する大学志願率などから計算すると、早ければ、来年4月入学向けの入試にも理論上の「大学全入時代」が訪れる可能性があるという。」
この傾向が進めば、そのうちに「ロースクール全入時代」が到来し、さらには「全員博士時代」となるかもしれない。
そうなると、「新しい自由の社会」は、日本においても盤石ということになるだろう。
「対するにウクライナ側は「自由を死守する」と言う。西ヨーロッパでも、「自分たちの自由な社会が脅かされた」という危機意識が非常に強い。この場合、「自由な社会」は冷戦時代のニュアンスを欠く。「自由な」経済体制のことではない。むしろそれならばロシアも合格であり、まさに冷戦終結後この古い基準でロシアは「西側」に受け容れられてきたのである。ところが、今この受け容れは反省に晒されている。受け容れてきた、ないし利用してきた、ないし依存してきた、「オリガルヒ」を真っ先に追放する動きに出た。これが私的軍事組織、そしてその極大値としての今回の侵攻軍事集団、と直結しているということが理解されているのである。ということは、「オリガルヒ」を受け容れてきたのとは別の「自由な社会」が形成されてきていた、ということであり、これが今回のロシアの軍事行動と全面対決を辞さないのである。」
「畢竟、新しい自由の社会の正体は一体何か、が鍵を握る。しかしこれを分析する用意は今のところ私にはない。ただ、大量の専門技術職層、およびこれと結びついた芸術家ないし芸術関連専門職層、そして独立度の高いマネージャー層、が新しい階層の中核を担っているということは言える。彼らは高等教育(次第に博士課程をデフォールトとしつつある)の産物であり、国境を全く越える。1990年代からこのような層が形成されるという見通しがあり、各国が高等教育に力を注いだ。しかしリーマンショック等により言わば馬脚を現わした側面もある。」(p65~66)
例によって鋭い洞察であるし、今後の中国の動向を見極めるうえでも参考になるだろう。
今や「新しい自由な社会」こそが希望の光なのだが、これを支える層は次第に「博士課程をデフォールトとしつつある」そうである。
個人的に気になるのは、「法務博士」はこの「博士」に含まれるかどうかという点である。
同じ「博士」でも、「法務博士」と「法学博士」は、おそらく格段の違いがあると思うからである。
「大学全入時代」突入か 河合塾予想、今冬の入試から 浪人さらに減
「これまでの平均的な定員総数の増加率と志願者数の減少率、18歳人口に対する大学志願率などから計算すると、早ければ、来年4月入学向けの入試にも理論上の「大学全入時代」が訪れる可能性があるという。」
この傾向が進めば、そのうちに「ロースクール全入時代」が到来し、さらには「全員博士時代」となるかもしれない。
そうなると、「新しい自由の社会」は、日本においても盤石ということになるだろう。