『私の一ヶ月』作・須貝 英、インタビュー
「第一フェーズはメンバーが互いを知り合うための時間で、ロイヤルコートの講師の方々がこれまでに培ったノウハウについて聞いたり、課題の戯曲について皆で議論し合ったりしました。参加者内で「戯曲をどこから書き始めるか」なども話し、シェアできたのはこれまでにない有意義な体験でした。
それらを経て、各々が第一稿を書いた上で第二フェーズに入ったので、参加者から聞いていた話と出てきた戯曲を照らし合わせて考えることができ、「なるほどこういう形になるのか」「こんな表現になるとは意外だ」など発見の連続でした。上演を目的としないで書く自由さ、それをゼロから共有する仲間がいる心強さなど含め個人的にメチャクチャ楽しい時間で、メンバー内で僕が一番楽しんでいた自信があります(笑)。それにまず人を知り、その後から作品を知るという機会もあまりないことでしたから。」
なるほど。
複数の作家が同時進行的に戯曲を書き、それを見せ合ってディスカッションを行い、推敲を重ねて完成させるという方式のようだ。
「上演を目的としない」というところが新鮮で、実際、「上演されない作品」(未完成の戯曲、あるいは読むための戯曲など)というものもあってよいと思う。
さて、本作の最大の特徴は、舞台上に3つの空間が登場し、同時に劇が進行していくところである。
この3つの空間は、① 2005年11月、② 2005年9月、③ 2021年9月 という風に、時間を異にしている。
②と①の間で起きた大きな出来事を巡るストーリーなのだが、それは前半では知らされず、後半で明かされることとなるので、ミステリーを読んでいるような気分になるのである。
「演劇をやる上での原動力の一つに「世界が抱えている問題を何とかしたい」という思いがあります。演劇で世界を変えるのは簡単なことではなく、実際政治家になった方が早いのかも知れません。でも「世界を変えるかもしれない人」を演劇によって変えることは出来るのではないか。その願いは『私の1ヶ月』にも込められています。
・・・僕自身は日本全体がスローダウンすればみんなが楽になると思っています。そうできないことが日本の貧しさにつながっていると捉えていて、その傾向がコロナ禍でより加速していったように感じます。」(公演パンフレットより)
私見では、「世界を変えるかもしれない人」を日本で探すとすれば、やはり中高生ではないかと思う。
基本的なものの見方や感じ方は、おそらくこの年代に形成されるからである。
ところが、この数十年というもの、中等教育において、人間を没知性的にするような教育が広く行われ続けている(知的信用)。
須貝さんがいう「スローダウン」と正反対のことが、社会全般で蔓延しているのだが、その病原は、ここに潜んでいる可能性がある。
なので、中高生に、こうした演劇を安価又は無償で観てもらうプロジェクトなどを、私は希望するのである。
「第一フェーズはメンバーが互いを知り合うための時間で、ロイヤルコートの講師の方々がこれまでに培ったノウハウについて聞いたり、課題の戯曲について皆で議論し合ったりしました。参加者内で「戯曲をどこから書き始めるか」なども話し、シェアできたのはこれまでにない有意義な体験でした。
それらを経て、各々が第一稿を書いた上で第二フェーズに入ったので、参加者から聞いていた話と出てきた戯曲を照らし合わせて考えることができ、「なるほどこういう形になるのか」「こんな表現になるとは意外だ」など発見の連続でした。上演を目的としないで書く自由さ、それをゼロから共有する仲間がいる心強さなど含め個人的にメチャクチャ楽しい時間で、メンバー内で僕が一番楽しんでいた自信があります(笑)。それにまず人を知り、その後から作品を知るという機会もあまりないことでしたから。」
なるほど。
複数の作家が同時進行的に戯曲を書き、それを見せ合ってディスカッションを行い、推敲を重ねて完成させるという方式のようだ。
「上演を目的としない」というところが新鮮で、実際、「上演されない作品」(未完成の戯曲、あるいは読むための戯曲など)というものもあってよいと思う。
さて、本作の最大の特徴は、舞台上に3つの空間が登場し、同時に劇が進行していくところである。
この3つの空間は、① 2005年11月、② 2005年9月、③ 2021年9月 という風に、時間を異にしている。
②と①の間で起きた大きな出来事を巡るストーリーなのだが、それは前半では知らされず、後半で明かされることとなるので、ミステリーを読んでいるような気分になるのである。
「演劇をやる上での原動力の一つに「世界が抱えている問題を何とかしたい」という思いがあります。演劇で世界を変えるのは簡単なことではなく、実際政治家になった方が早いのかも知れません。でも「世界を変えるかもしれない人」を演劇によって変えることは出来るのではないか。その願いは『私の1ヶ月』にも込められています。
・・・僕自身は日本全体がスローダウンすればみんなが楽になると思っています。そうできないことが日本の貧しさにつながっていると捉えていて、その傾向がコロナ禍でより加速していったように感じます。」(公演パンフレットより)
私見では、「世界を変えるかもしれない人」を日本で探すとすれば、やはり中高生ではないかと思う。
基本的なものの見方や感じ方は、おそらくこの年代に形成されるからである。
ところが、この数十年というもの、中等教育において、人間を没知性的にするような教育が広く行われ続けている(知的信用)。
須貝さんがいう「スローダウン」と正反対のことが、社会全般で蔓延しているのだが、その病原は、ここに潜んでいる可能性がある。
なので、中高生に、こうした演劇を安価又は無償で観てもらうプロジェクトなどを、私は希望するのである。