Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

唯一の共同作品(1)

2022年11月16日 06時30分26秒 | Weblog
ジャン=ポール・ベルモンドの代表作『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』などを一冊に詰め込んだ復刻号が発売!
 「ヒューマントラストシネマ有楽町&シネ・リーブル池袋ほか全国順次公開決定!ジャン=ポール・ベルモンド主演、ジャン=リュック・ゴダール監督の傑作『勝手にしやがれ』、『気狂いピエロ』の二作品が劇場で上映されます。

 ゴダール監督逝去直後に注文したDVDを今頃になって観ているが、監督が自殺(尊厳死)した理由の一つが分かったように感じた。
 それは、「ベルモンドが亡くなったから」。
 引用した記事にもあるとおり、ベルモンドの代表作としては、いまだに「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」というゴダール作品が真っ先に挙げられるくらい、ゴダールとベルモンドはセットとして考えられている。
 ところが、「気狂いピエロ」の撮影の際、二人は不仲となったそうである。
 Wikipedia(ジャン=ポール・ベルモンド)から引用すると、
 「同年再びゴダールの『気狂いピエロ』に主演する。しかし、ベルモンドはシナリオを使わないゴダールのやり方を批判し「二度とゴダールとは仕事をしない」と宣言した。一方のゴダールも、1970年に商業主義の映画を嫌うと宣言し、もっとも使いたくない俳優の筆頭にベルモンドを挙げている。
とあり、その後ベルモンドがゴダール作品に出演することはなかった。
 そういう意味では、ちゃんとセリフがあって重要な役目を果たしている「勝手にしやがれ」こそが、この二人にとって唯一の幸福な「共同作品」だったように思える。
 事実、この映画は観ていて実に気持ちが良い。
 改めて観て分かったのだが、早くもシーン3の”Chambre de bonnne” で”dégueulasse”(最低!)というセリフが出て来る(形容詞と名詞)。
 言うまでもなく、この言葉こそがこの映画の核心である。
 ”dégueulasse”がある意味主人公としてストーリーを駆動させていたのであり、ベルモンドはその化身なのである。
 同様に、「気狂いピエロ」もやはり「言葉が主人公」の映画だということが出来るが、それがいわゆる”セリフ”ではなかったというところが、ベルモンドにとっては気に食わなかったのかもしれない。
 
コメント
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