私などは、職業柄か、映画を観るときに言葉(セリフ)にばかり注目してしまうが、この映画を読み解くためには、言葉以外の(non - verbal)要素に着目する必要があるようだ。
『勝手にしやがれ』Vol.4|鏡を愛するチンピラ=ジャン=ポール・ベルモンド
まず、ミシェルのモデルないしアイコンが重要である。
彼については、「唇を指でなぞる仕草」が特徴的で、これは、「マルタの鷹」(1941年)のハンフリー・ボガートの仕草の引用だそうである。
(ちなみに、ラストではこの仕草がパトリシアにも伝染してしまう。)
いわば「本歌取り」なのだが、アメリカン・フィルム・ノワールに出て来るギャングに憧れ、アメ車ばかりを盗み、アメリカ人留学生:パトリシアに首ったけになるというところからして既に、ミシェルのバカっぷりが遺憾なく表現されている。
次に、ジャケットの着脱という行為の持つ意味が重要である。
「ジャケットを着ている時に輝き、ジャケットを脱いだ時に、この作品は倦怠に突入するのです。」
というのは、ファッションの専門家ならではの鋭い指摘である。
ジャケットを着ている間じゅう、ミシェルは死に向かって突進するが、ジャケットを脱いだとたん、小休止に入るのである。
さらに、大事なのは、「しかめっ面をする」(「むっつりする」「スネる」)(faire la tête)という仕草である。
ミシェルによれば、これには三種類があって、人生はこの三つの表情に要約されるという。
ラストで、彼はこの三つの表情をつくった後、”dégueulasse” と呟いて死ぬのである。
『勝手にしやがれ』Vol.4|鏡を愛するチンピラ=ジャン=ポール・ベルモンド
まず、ミシェルのモデルないしアイコンが重要である。
彼については、「唇を指でなぞる仕草」が特徴的で、これは、「マルタの鷹」(1941年)のハンフリー・ボガートの仕草の引用だそうである。
(ちなみに、ラストではこの仕草がパトリシアにも伝染してしまう。)
いわば「本歌取り」なのだが、アメリカン・フィルム・ノワールに出て来るギャングに憧れ、アメ車ばかりを盗み、アメリカ人留学生:パトリシアに首ったけになるというところからして既に、ミシェルのバカっぷりが遺憾なく表現されている。
次に、ジャケットの着脱という行為の持つ意味が重要である。
「ジャケットを着ている時に輝き、ジャケットを脱いだ時に、この作品は倦怠に突入するのです。」
というのは、ファッションの専門家ならではの鋭い指摘である。
ジャケットを着ている間じゅう、ミシェルは死に向かって突進するが、ジャケットを脱いだとたん、小休止に入るのである。
さらに、大事なのは、「しかめっ面をする」(「むっつりする」「スネる」)(faire la tête)という仕草である。
ミシェルによれば、これには三種類があって、人生はこの三つの表情に要約されるという。
ラストで、彼はこの三つの表情をつくった後、”dégueulasse” と呟いて死ぬのである。