Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

周回遅れ(5)

2022年11月13日 06時30分52秒 | Weblog
 日本における「新しい自由な社会」の担い手は、消去法で行くと、「専門技術職層」ということになるのだろう。
 これが何を指すかは一つの問題だが、弁護士会の研修での木庭先生の言葉から推測すると、現在は「法曹と霞が関(官僚)」ということのようだ(知的信用(5))。
 もっとも、この種の「専門技術職層」は、期間限定ではあるものの、過去に存在していたと見られる。
 それは、江戸末期から明治期にかけての、医師を中心とする知的サークルである。
 いわば、日本版のリベルタン・エリュディ(libertin erudit)である。

人は時代といかに向き合うか 三谷 太一郎 著
 (渋江抽斎や栗本鋤雲など)「彼らは、同じ知的共同体に属する同時代人であった。また、抽斎に傾倒した鴎外もまた時代を超えて、彼らと同じ知的共同体に属していたといってもよいであろう。鴎外を敬慕した荷風も同じである。」(カバー裏の説明文より)

 江戸時代の思想をリードした人たちをみると、例えば、安藤昌益、本居宣長、平田篤胤などはみんな医者である。
 
解説 お江戸の科学 江戸時代の医者
 「・・・初期の医者に坊主頭が多いのは、僧侶が漢学の知識を生かして医療に従事していた名残りだという。・・・」

 江戸時代にあっては、「医者」≒「僧侶」で、コアは「漢学者」なのである。
 こうしてみると、幕末から明治期にかけての知的サークルを主に医師が構成していたことや、それが「期間限定」であった理由が分かるように思う。
 当時、「イエ」の呪縛から逃れて自由に関する思索を深めることが出来たのは、世襲によってではなく、学問(漢学)を修めることによって開業が可能となる医者くらいしかいなかったのかもしれない。
 もっとも、医術開業試験(1875年~1916年)やその後の医学教育機関出身者による医師業独占化に伴い、それまでの「(漢方)医」(漢学者)が一掃されてしまい、知的サークルも崩壊したのではないだろうか。
 
 
コメント
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