Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

設定変更(2)

2023年04月11日 06時30分00秒 | Weblog
 「ハンス、ジャン、ジョン、ジョヴァンニ、ヤン、イワン。キリスト教文化圏にみられるこれらの名は、もとを質せばみな同じ「ヨハナン」に由来する。あの洗礼者ヨハネと同じ名であり、「聖ヨハネ祭」にいうヨハネとは、この洗礼者のことで、その誕生日とされる6月24日が祭の日。・・・そこでハンス・ザックスを洗礼者ヨハネに見立ててみると、このオペラの骨格がよく見えてくる。」(プログラムにおける舩木篤也氏の解説)

 「ワーグナーはこの年代史(注:ヴァ―ゲンザイルのニュルンベルク年代史)から、劇に出て来る十二人のマイスタージンガーたちの名前をとっている。ただし実在の人物フリッツ・ツォルンの名をバルタザール・ツォルンと変え、ニコラウス・フォーゲルを病気だということにして登場させず、ハンス・ザックスを入れて12人ということにしたのである。」(p317)

 「なお、「ダビデ王」はキリスト教史上、ギリシャ神話のオルフェオと「合体」し、音楽の守護者と見なされるようになった存在であるために、その動機が本作に登場するわけです。

 ハンス・ザックス=「洗礼者ヨハネ」、ヴァルター=「イエス」という舩木氏の指摘が見事である。
 これによって、ワーグナーが、わざわざ設定を変更してまで、マイスターを12人(十二使徒)にしたことも説明出来るわけである。
 残る問題は、第1幕の初めと第3幕の終わり近くに出て来る「ダヴィデ王」の位置づけである。
 というのも、「ダヴィデ王」はユダヤの王・英雄であるが、ワーグナーは、はっきりとした反ユダヤ主義者だったからである(この思考は、「マイスタージンガー」におけるベックメッサーの人物造形にも現れているそうである(ワーグナーとユダヤ人))。
 考えられる一つの説明は、マイスターたちは、キリスト教におけるオルフェオとの「合体」を果たし、音楽の「守護者」化したものとしての「ダヴィデ王」を崇めているというものである。
 だが、私見では、この説明はあくまで表向きのものに過ぎないと思う。
 ヒントはやはり登場人物の設定にあり、ワーグナーがハンス・ザックスの(おっちょこちょいの)「弟子」に、わざわざ「ダーヴィット」という名を付けているところがポイントと思われる。
 つまり、ハンス・ザックスとヴァルター=「洗礼者ヨハネとイエス」を、ダーヴィット=「ユダヤの王・英雄」の上(マイスター:親方)に位置付けようとしたのではないか、という気がするのである。
 ワーグナーの思考は、「ダヴィデ王はキリスト教に包摂された限りにおいて尊重すべきものであり、あくまでキリスト教が「上」」というものではないだろうか?
 ところで、「設定変更」と言えば、映画版「進撃の巨人」でも、リヴァイ(人類最強の兵士!『進撃の巨人』"リヴァイ"を徹底考察)を登場させないという設定変更が行われているが、こちらは”ヴ”の音がアジアには存在しないためという理由のようで、深い意味はないようだ。
コメント
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