「ニーチェの考えでは、このようにソクラテス以後のギリシアの「哲学」は肉体的生命を蔑することによって堕落し、この堕落が、のちのキリスト教につながって、「西洋」というものの根本的頽落の原因となる(ニーチェは「原因」という概念を嫌うから、この言い方はほんとうは正しくないのだが)。キリスト教において肉体的生命への侮蔑は頂点に達し、この世の背後にある「永遠に生きる世界」への崇拝と信仰が人間を支配するようになる。これはパウロによって定式化された生命観である。人間の肉体的生命は有限だが、信仰者のみが神から与えられる「霊のいのち」つまり<第二の生命>は永生する、という考え方である。もっとも唾棄すべきものとしてニーチェが全否定したのが、この彼岸的生命観つまり<第二の生命>中心主義だ。」(p123)
近年出版されたニーチェの研究書の中では出色の出来栄えだと思う。
内容は盛りだくさんで、いっぱい引用したいところだが、まずは上に挙げたくだりを引用したい。
<第二の生命>中心主義は、私が「モース=ユべールモデル」として解釈していた旧約聖書やリグ・ヴェーダ的な世界観・死生観(命と壺(5))に近いと思うが、小倉先生はパウロを起源と見ているので、「パウロ・モデル」と呼んでもいいように思う。
ニーチェは、この思考を、「彼岸的生命観」として全否定したのである。
ちなみに、私の見立てでは、この<第二の生命>中心主義が、西欧とは違う形で、日本社会の根っこのところで、”執拗低音”のように響き続けている。
それにしても感心するのは、小倉さんが、シュレヒタ版で500頁以上の「遺稿から」全部を、”目を皿のようにして”読んだというところである。
これには4年以上かかったということだが、こういう地道な努力が、ニーチェの思考に肉薄するために必要な作業だということなのだ。