Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

個人の覚醒(2)

2023年04月13日 06時30分00秒 | Weblog
 「議事録からみられるのは、殆どの委員は、憲法学の基本的な知見を持っておらず、これまで積み上がってきた憲法をめぐる議論に基づいて法律を論じる能力はないということだ。・・・
 具体的な憲法論が行われない そのような独演会の場と化しているのが、第208回国会と第210回国会でそれぞれ一回ずつ行われた「憲法に対する考え方について意見の交換」だ。この会議では文字通りそれぞれの委員がそれぞれの「考え方」を述べるばかりで、議論の場にはなっていない。それぞれの委員が語っている内容も、先述の「合区」問題を初め、自衛隊、緊急事態、デジタル化、憲法裁判所、道州制など、自分が思いついたこと、あるいは自分の党の政策をただアピールしているだけ、といった様相となっている。中には憲法に日本の伝統を書き込もうとする西田昌司委員のように、近代憲法の根本を理解していない意見を述べる委員もいる。 

 憲法は、そもそも個人の自由を保障するためのものであるが、この基本すら押さえられていないことに愕然とする。
 もっとも、それ以前の問題がある。
 すなわち、国会という場において、”言葉が意味を持たず、議論が成り立たない”という状況は、「政治の不成立」という深刻な問題を露呈しているのである。
 もちろん、政治家の能力不足や人選ミスなど、要因についてはいろいろな説明が可能だろう。
 だが、「政治」が「自由を指導原理とする全体社会組織の、その自由を実現する仕組みないし装置」であるとすれば、結局のところ、「わたしたち個人個人が、本心では自由を求めていない(より大きなもの=集団に依存したい)からである」というのが、いちばん説得力のある説明だと思う。
 そうでなければ、こういうトンチンカンな言葉しか出てこない人物たちが、国民の代表として国会に登場してくるはずがないからである。
 「個人の覚醒」の欠如という、永井荷風の指摘は、いまだに有効なのだ。
 
  
コメント
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