2018年に観た/聴いたときは、アイーダ役がややうるさい感じがしたものの、それを除けばまずまずの出来栄えだったという記憶である。
だが今回は、初っ端の「清きアイーダ」でラダメスが躓いた感がある。
声量は一応あるのだが、声質がやや伸びやかさに欠けるのである。
これに対し、アイーダ&アムネリスは演技も含め素晴らしかった。
目玉とも言うべき第2幕では、ゾウは登場しないものの馬が舞台に登場するという豪華なプロダクションだが、ラストのセリフの翻訳がやや気になる。
これは原文からかなり離れた、思い切った意訳なのだ。
ラダメス「エジプトは要らぬ、私はアイーダが欲しいのだ!」
ラダメス「・・・ああ、いや! エジプトの玉座は、アイーダの心に値しはしない。」(p56)
さて、古代エジプトという特殊な設定に幻惑されることなく冷静にストーリーを分析すると、これは色んなオペラをミックスした設定ではないかという疑惑、つまりパクリ疑惑が湧いてきた。
まず、「死によって成就される愛」という結末(25年前(4))は、このオペラの少し前に公開された「トリスタンとイゾルデ」と共通している。
次に、三角関係(ラダメスをアイーダとアムネリスが取り合う)は、「仮面舞踏会」の男女を入れ替えたものに見える。
さらに、3幕でアモナズロが抵抗するアイーダを「わしの娘ではない・・・そなたはファラオどもの奴隷だ!」と非難するくだりは、「椿姫」でジェルモンが息子:アルフレードに「ヴィオレッタと別れろ!」と迫る場面と似ている。
つまり、息子(アルフレード)を娘(アイーダ)に置き換えたように見えるのである。
もちろん、ヴェルディが台本を書いたわけではないので、原案を作ったオギュスト・マリエットに責めは帰せられるということになるだろう。
まあ、「仮面舞踏会」と「椿姫」の設定の逆転は、いわばセルフカバーなので、「パクリ」には当たらないと言ってよいだろう。