「わが国は獲れるだけ獲ろうとしてそれでも獲れない状態です。一方で、北欧、北米、オセアニアなどの漁業先進国は、実際に漁獲できる数量より「大幅」に天然魚の漁獲量を制限しています。そして漁業で成功している国に共通しているのが、サスティナビリティを考慮している点です。」(p2)
「「スルメイカが獲れない」というニュースを聞いたことがあるかと思います。その原因として挙がるのが、外国船による操業です。ただ、その一方で、日本では、写真のように生まれたばかりと思われる小さなスルメイカを獲って売っています。これでいいのでしょうか? 自国のことは棚に上げて外国ばかり非難しても何の解決にもつながりません。」(p5)
「マイナーリーグには、10代後半の選手も在籍しているが、公式戦では「球数制限」は行っていない。必要がないからだ。「勝利」よりも「育成」が優先され、目先の勝利のために、投手を酷使することはあり得ない。チームの多くは、MLB球団とは別の経営になっており、MLB球団と契約をした選手を預かっている。マイナーの投手が登板過多で故障したりすれば、チームや指導者がMLB球団からペナルティを受けたり、場合によっては契約解除されることもあり得る。このためにマイナー各球団は投手の投球数を厳しく管理しているのだ。 」
わが国でもようやく”サステイナビリティ”が声高に叫ばれる時代になった。
だが、そこにおいて欠落していると思われるのは、”サステイナビリティ”の主体は一体何かという観点である。
これについては、漁業におけるサステイナビリティが分かりやすい。
北欧、北米、オセアニアなどの漁業先進国の発想は、conservation (保全)であり、やや誇張して言うと「育成」である。
つまり、漁獲制限によって魚の個体(魚の集団ではない)を「育成」し、繁殖可能なまでに成長させた後で捕獲するというもの。
日本ではこうした発想が希薄であり、生まれたばかりのスルメイカでも平気で獲ってしまう。
したがって、おそらく日本や東アジア諸国などは、取り残された状態となっていると思われる。
ところで、「育成」という観点からすると、アメリカでのプロ野球選手の育成方針も参考になる。
昭和の時代、日本の高校野球やプロ野球には、「球数制限」という概念が存在しなかった。
このため、高校野球では、投手は連投するのが当たり前で、プロになるころには肩やひじを壊しているケースが続出していた。
「負けたら終わり」という状況下、「チームのために自分を犠牲にする」ことが奨励され、賞賛されていた(今でも、「後がない」状況で死力を尽くしてプレーする高校球児を見るのが大好きという大人は多いはずである。)。
だが、アメリカのプロ野球では昔から「球数制限」が存在していたし、マイナーリーグに至っては「勝利」よりも「育成」が重視され、選手を故障させることは禁忌とされるらしい。
要するに、球団の「勝利」=球団のサステイナビリティよりも、個々の選手の育成=個人のサステイナビリティが重視されているわけである。
つまり、ざっくり言うと、欧米の「サステイナビリティ」の主体は個人であるのに対し、日本の「サステイナビリティ」の主体は「集団」なのである。
だが、「集団」の存続を至上命題とする思考は、生物学的な観点からみて疑問とされる(レミングの嘘)。
サステイナビリティに関する誤解も、そろそろ解いた方が良さそうである。