子安ゆかり先生は、高名なピアニストであるだけでなく、東大の大学院で学び博士号を取得したという凄い方である。
博士論文には、この詩についての解説がある。
「色彩に富み調和的な風景が描かれる第一連と非調和な冬の情景を描く第二連は、例えばアドルノが言うようにこの二連がアンチテーゼとしてそれぞれがそれぞれを必要とするという意味で一つであり、その上で並列的な形式で並べられ「生そのものの両半分に切れ目を入れる」ということであるならば、その「切れ目」は中間休止であると考えることができるだろう。・・・
・・・このように「生の半ば」の韻律を解釈するならば、ヘルダーリンがソフォクレスの悲劇論で展開した中間休止の役割と効果を、実際の詩作にも活かしていたと考えられるのである。」(p62~63)
一般人の詩の解釈は、意味論に終始して音韻論にまでは手が回らないことが多い。
だが、子安先生はさすがに音楽家なだけあって、韻律にも焦点を当てている。
そして出て来たキーワードが、「中間休止」(カエスーラ)である。
ちなみに、上で省略した箇所では、韻律と「中間休止」について具体的に解説されている。
子安先生も示唆するように、ヘルダーリンは、"Hälfte des Lebens" という語を、「動いている生の半分」と「休止している生の半分」という意味合いで用いたのかもしれないのである。
他方、第二連で意味論的に重要な語は、私見では
① 壁
② 風見
と考える。