このように、「生のなかば」という詩は、1連と2連とで対照的な二つの世界に分かれており、ここにおいては、2連がいわば「中間休止」として位置づけられる。
だが、2連の内部で「中間休止」がいくつか使用されているので、全体としてみたときには、入れ子構造となっているわけである。
さて、問題は、ヘルダーリンがどうして「壁」を超えてしまったのかであるが、よく言われるのが、統合失調症の影響である。
確かに、この詩が作られたとされる1804年より前に、既に病気の兆候は見られた。
「ランダウア―の仲介で、今度はフランスのボルドーに(四度目の)家庭教師の口を得たヘルダーリンは、1801年12月11日に母の許より出発し、一か月以上たった1802年1月28日にようやく雇い主であるマイヤー家に到着し、四人の娘の教育にあたるものの早くも5月半ばにヘルダーリンは去っている。6月末にシュトゥットガルトに戻ってきたときには、錯乱状態にあり風貌もヘルダーリンとわからないほどの変わり様であった。」(p33~34)
だが、先入観なしにこの詩を読んでみると、実に論理的な構成になっている。
私見ではあるが、少なくともこの詩がつくられた時点で、ヘルダーリンの病状が深刻であったとは考えにくい。
むしろ、ニーチェなどもそうであるように、病状が浅い段階、あるいは一時的に良化した時点における創作は、常人では到底達成できないほどの素晴らしいものがあり得るわけであり、「生のなかば」もその一例なのではないかと思う。