Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

ひとり別格(4)

2023年09月02日 06時30分00秒 | Weblog
(2連)
悲しいかな、どこで、冬ならば
花を見つけるのだ、どこに
陽の光を、
そして大地の影を?
壁は立っている
ことばなく冷たく、風の中で
風見がからからと鳴る。
(子安ゆかり先生の訳)

 2連の構成・韻律について、子安先生は、「一つの文を構成することなく、詩句は分断されている」、「韻律は非常に乱れている」と指摘する(前掲p63)。
 (2連における唯一の生物である)「花」と「陽の光」はもちろん、「大地」に至っては「影」すらも、その不在が強調される。
 「生き物たちが活動している世界」は目の前から消えて、私ひとりが取り残されたかのようだ。
 私の目の前には「壁」が立っており、「生き物たちが活動している世界」との間を隔てている。
 ところで、「壁」と言えば、私はやはりニーチェ先生を思い出す。

 「わたしの言うことを信用せよ、わたしの兄弟たちよ! 身体に絶望したのは、身体であった、ーーー身体こそが、昏迷せる精神の指でもって、最後の壁を手探りしたのだ。
 わたしの言うことを信用せよ、わたしの兄弟たちよ! 大地に絶望したのは、身体であった、ーーー身体こそが、存在の腹が自分に話しかけてくるのを聞いたのだ。
 そこで身体は、頭でもって、また頭でもってではなく、最後の壁をつらぬき、ーーー「あの世界」へ超え行こうとした。」(p57)

 この「最後の壁」は「あの世界」(jener Welt)、つまり「あの世」との間の「壁」であるが、「生のなかば」の2連で言うところの「壁」は、「最後の壁」ではない。
 「生」の世界を半分ずつに分断する、いわば「最後の1つ前の『壁』」なのである。
 私(ヘルダーリン)は、どういう訳か、その「壁」を乗り越えたところに来てしまったようだ。
 
コメント
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