Die Mauern stehn
Sprachlos und kalt, im Winde
Klirren die Fahnen
Sprachlos und kalt, im Winde
Klirren die Fahnen
障壁(へき)は言葉なく、冷かに連なりて、
風吹くなべに風見(かざみ)ぞきしめく。(訳:吹田順助)
風吹くなべに風見(かざみ)ぞきしめく。(訳:吹田順助)
最後の Fahnen が難物である。
「旗」という訳もあるが、「風見」が多数派のようであり、これが正しいと思う。
というのは、klirren は、「クラッシュすることによって、かき鳴らして、明るく振動する音を作り、鳴り響く音を出す」という意味なので(ドイツ語でKLIRRENはどんな意味ですか?)、これは金属製の風向計と見るのが妥当だからである。
複数の「風見」がカラカラと回っているのだから、ここには生き物は一切存在しないけれども、風は吹いているわけだ。
つまり、(当然のことだが、)ここには空間が存在しており、したがって時間も存在していることが示されている。
このことは、「時間のない世界」(又は「空間のない世界」)の例と比べると分かりやすい。
その典型は、「野いちご」に出て来る「針のない時計」である(映画鑑賞「野いちご」(1957年)の2つめの写真)。
これは「時間のない世界」、つまり死の世界を象徴している。
対して、「生のなかば」の2連の世界では、風が吹いており、空間も時間も存在している。
したがって、ここは「あの世」(jener Welt)ではなく、この世の「半分」なのである。
なお、「風見」も「壁」も複数形であるところからすれば、「風見」は動きを止めた個々の生命体を表しており、「壁」は個々の生命体をもう一つの「半分」の世界から隔てる障壁を意味しているようだ。