Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

加害者の人権と人間の「手段」化

2023年09月23日 06時30分00秒 | Weblog
 「フランスで今週、トランスジェンダーの同級生をいじめたとされる少年(14)が授業中に逮捕された。いじめに対する取り締まりは同国で広い支持を得ているが、異例の措置に生徒や保護者からは怒りの声が上がっている。
 「政府のオリビエ・ベラン(Olivier Veran)報道官は20日、今回の逮捕は政府のいじめ対策に「従った」ものだと主張。いじめを行っている生徒たちに「非常に強いメッセージ」を送ることが目的だとし、「まん延するいじめを撲滅する手段であり、子どもたちを守る手段でもある」と語った。

 後半の記事からは、逮捕が「見せしめ」として行われたことが推測できる。
 これに対し、わが国では、「加害者の人権」という言葉で、以下のような、ズレた議論が出て来ることがある。

 「母親は、当時の教頭とのやり取りを克明に記録していました。
「加害者にも未来があるんです」
「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。もう一度、冷静に考えてみてください」

 カント先生だったら、フランス政府が行なった措置に対しても、旭川の中学校の教頭の発言に対しても、「間違っている」と断定するだろう。
 いずれも、人間を「手段」として扱っているからである。

 「一切の被創造物のなかで、我々が欲しまた意のままに処理しうる一切の物は、手段としてのみ使用され得る。ただ人間だけは、また人間と共に他のいかなる理性的被創造者も、目的自体である、誠に人間は、道徳的法則の主体である。・・・
 それだから理性的存在者は、決して手段としてのみ使用せられるものではなく、同時にそれ自身目的として使用せられねばならない、ということである。」(p181)

 「見せしめ」にせよ、「1人の被害者の未来よりも10人の加害者の未来の方が大切」(「最大多数の最大幸福」?)にせよ、人間を「手段」として扱う思想に基づいている。
 それこそ、「イジメ」に近づく危険のある思想である。
 これほどの矛盾に、どうして気づかないのだろうか?

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする