Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

メタ化

2023年09月25日 06時30分00秒 | Weblog
 「第一部は山階彌右衛門による能「大江山」。・・・
 第二部は関根知孝が舞う能「班女」。

 「大江山」は初見だが、「班女」を観るのは2回目(とはいえ、観ている途中で気づいた)である。
 解説の村上湛先生によると、「大江山」は、演者の数が多いために上演機会が少ない演目だそうで、客席はほぼ満席である。
 ストーリーも見た目も実に面白く、(こういうことを言うと失礼だが、)全く眠くならない。
 面白かったのは、「神だにも 一稚児二山王と立て給ふは 神を避くる由ぞかし」のくだりで、村上先生いわく、「稚児(酒呑童子もそうである)は修験道の世界では神をも凌ぐアイドルだった」というところ。 
 昨今メディアを賑わしている児童虐待とは反対の状況(但し、村上先生によれば、全く問題がなかったというわけではないらしい)である。
 これに比べると、「班女」は、ストーリーも見た目も明らかに劣る印象である。
 実際、客席は7割程度の入りで、「大江山」との落差が目立つ。
 特に、終盤近くで花子がえんえんと短調な踊りを舞うあたりは、囃子方は大変そうであるが、観客の方はおそらく大半が退屈するところだろう。
 だが、この能にちょっと細工を加えれば、素晴らしい近代演劇が出来上がるのである。

 実子「・・・今までの苦労も水の泡だわ。花子さんを描いた絵だけは人の目に触れさせまいとして、展覧会へ出さなかったのも、むだになったんだわ。あれを次々と出していれば、当選どころか特賞をもらっていたかもしれないのに、花子さんと知り合ってから、力を入れない他の絵ばかりを出していたために、いつも落選の憂目を見ていたんだのに。ああ、そうしてまで、私は花子さんを手放すまいとした。それなのに。」(p135)

 「近代能楽集~班女」では、能には出てこない実子がおそらく主人公である。
 画家の実子は、「美しい狂女 花子」を家に囲い込み、絵の被写体=美の権化として崇拝する。
 能においては、花子が恋焦がれるのは吉田少将だったのに対し、戯曲では、さらにその花子を崇拝する実子が登場する。
 つまり、三島は、実子を登場させることによって「メタ化」を行っているわけである。
 この設定だけで、「一本取られた」という気分になるのである。
コメント
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