「証人台の塚部をほぼ正面の原告席から見ていた大川原社長には「言いたくないことを言わされているたびに検事の顔色が赤黒く変わったように見えた。個人の意思を抑えてしまうからダメなんだ。上司に『違う』と言える検察組織にしていかないと、国としてやばい」。大川原社長は組織を率いる企業経営者として、検察という組織のいびつさを危惧している。」
「「何とか言ったらどうなんです。あなたまだ心の中で反省できてないでしょう。嘘を認めようという気にもなってないでしょ」「検察なめんなよ。命賭けてるんだよ、俺達は。あなた達みたいに金を賭けてるんじゃねえんだ。かけてる天秤の重さが違うんだ、こっちは。金なんかよりも大事な命と人の人生を天秤に賭けてこっちは仕事をしてるんだよ。なめるんじゃねーよ」
決定は、これらの田渕大輔検察官の言動を「(机を強く叩いて大きな音をたてる行為は、Kに)驚きや畏怖の念等を抱かせる性質の行為である」「約50分という長時間にわたり、Kに対し、ほぼ一方的に責め立て続けており…このうちの約15分間…は、大声を上げて一方的に怒鳴り続けている」「K…を何度も何度も繰り返し執拗に責め立て、他にも虚偽供述があるはずであるなどと具体性のない質問を投げかけ、証拠は十分で、責任は逃れられないなどと述べることに終始している。その間、『反省しろよ』『 ふざけるな』『なめんなよ』などの威圧的な言葉を交え、Kの説明を十分に確認することなく嘘と決めつけ、Kが嘘をついて謝らない人間であるとか、金を賭けた者らと命を懸けている検察官とは違うとか、幼稚園児でも分かるなどと、Kの人間性に問題があり、あるいは、その人格を貶める趣旨の侮辱的な発言」をしたと評価している。正当な評価であり、通常の「脅迫」をも超えた「陵虐」行為を認定したことも当然である。このような犯罪を行った田渕大輔検察官には、訴追官としての資格はないはずである。検察庁も組織としてその責任とるとともに、本件の検証、再発防止策を講じるべきである。」
「ビルから飛び降りろ」、「お前の家族皆殺し」というレベルにまでは行かないものの、
「検察なめんなよ。命賭けてるんだよ、俺達は。あなた達みたいに金を賭けてるんじゃねえんだ。かけてる天秤の重さが違うんだ、こっちは。金なんかよりも大事な命と人の人生を天秤に賭けてこっちは仕事をしてるんだよ。なめるんじゃねーよ」
という発言には、それに近いものを感じる(冤罪だったのであれば、「賭けていた命をその代償として捧げる」ということになりそうなものだが。。。)
2つの記事に登場する検事(たち)は、「試験勉強は出来るが、『没知性的』な、集団思考・集団志向に染まった人物」の典型例のように思える。
要するに、根本的なところに欠落があるのだ。
この種の人たちは、例えば、中国に生まれれば共産党員となり、ロシアに生まれれば旧KGBに入り、組織の中で出世していくのかもしれない。
そして、残念なことに、わが国では、この種の人たちがいまだに重用されているわけである。
中等教育に問題がある点は繰り返し指摘してきたが、さらなる問題は、「知的信用」がきっちりと入った人材は、現在の検察庁(及び裁判所)のような、「組織防衛」を絶対視する集団を嫌悪し、こうした組織には加入しないため、「悪貨が良貨を駆逐する」現象が生じているのではないかということである。
そうでなければ、陵虐行為を行うような人物が、組織の中で枢要な地位にいるはずがないだろう。