特捜検察の正体 著:弘中 惇一郎
「もちろん、「真実を明らかにする」という使命感から法曹資格を取り、検察庁に入った人は、たくさんいると思う。しかし、そういう良心的な人は、組織の論理になじめず辞めていくか、抵抗して飛ばされるか、というのが世の常だ。頑張って出世しようという人は、組織の論理に従っていくしかないのだろう。」(p233)
私がかねてから思っていたことを、弘中先生が書いて下さっていた。
おそらく、検察庁では、「組織の論理」によって、人材における「悪貨が良貨を駆逐する」現象(知的信用(8))が起きているのだろう。
というのも、(私も多少は知っている)司法研修所で学んでいる検察官志望者たちは、おおむね正義感の強い、善良そうな人たちであり、そのような人たちの全員が、「事件をでっちあげる」特捜検事に変貌するわけではないからだ。
この点について言うと、ミクロの視点が重要だと思う。
具体的には、不祥事を起こした人物の経歴や思考の傾向などをプロファイリングしてみるのである。
おそらく、そこには、「経済的に比較的恵まれた環境で育ったこと」(つまり「没落」に弱いこと)と並んで、「極めて強い集団志向・集団思考」という共通点が浮かび上がってくることだろう。
私見では、この二つの要素は深く関連している。
「エリート・コースから外れる🟰集団・群れからはぐれる」ことに対する強い恐怖が、この種の人間を動かすのである。
こうした人材がひとたび権力機構に入るや、「組織の論理」を貫徹するためには手段を選ばない人間になるわけだ。