「東京バレエ団が、日本を代表する振付家、金森穣に委嘱して挑んだ全幕バレエ「かぐや姫」。2021年春から始まったクリエーションは、同年秋の第1幕、今年4月の第2幕初演と続き、2年7か月越しのプロジェクトがいよいよこの秋、第3幕を加えた全幕バレエとして完成の時を迎えます。」
いよいよ「かぐや姫」が完成する。
結末は、予想通りの「カタストロフ」。
もっとも、原作がそうなので、これは避けられないところだろう。
これについて、三浦雅士氏はこう指摘する。
「川端はそこで『竹取物語』を滑稽世態小説とする津田左右吉の見解や、あくまでお伽噺とする和辻哲郎の見解を退け、見事な現代小説であるとし、きわめて説力ある口調でそれを立証している。
金森穣の見解は、しかし、それらとは根本的に違っている。それら三者三様の見方を浮かべてなお揺るがない「かぐや姫」物語の本質は、姫が異界からの来訪者であるという事実に収斂すると考えているからである。・・・
東京バレエ団が全幕物バレエの創作を上演するのは、『M』以降初めてであることを付記しておく。じつに30年の歳月を経ている。」(公演パンフレットより)
「異界」からやって来たかぐや姫は、自身を何らかの手段、あるいは échange の客体として扱おうとする人間たち(翁、帝、影姫、大臣たち、側室たち、など)を、ことごとく”自滅”へと導く。
そして、自分だけ「異界」(=月)へと戻って行った。
・・・むむむ、これは、「M」の主人公と同じ構図ではないか?
かつて、「異界」から「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国」を訪れ、当時及びその後の多くの国民たちの"自滅"を予言し、自分だけ「異界」へと戻って行った「M」と、「かぐや姫」は、結局のところ同じことをしたのではないだろうか?
・・・などと想像を膨らませたりするのも面白い。