「「誰が最も喜んでいると思うか」との問いには「まずは隣にいる方(杉本八段)」と顔をほころばせ、内閣総理大臣顕彰の決定には「驚きの気持ちとともに、大変光栄なことと受け止めている」と述べた。」
親よりもまず師匠を挙げたところに強い印象を受ける。
というのも、かつてと違って、いまどきの将棋界の師弟関係は結構ドライだからである。
ちなみに、大山十五世名人の場合、師弟関係よりも、兄弟子である升田氏との関係が決定的だったようだ。
私の推測では、今の若い棋士にとっては、同門の兄弟子との関係よりも、研究会における先輩との関係の方が重要なのではないかと思う。
「升田少年が大阪の木見先生に弟子入りしたのは、十五の年でした。「名人に香車を引いて勝つまでは帰りません」とお母さんの物さしの裏に書き残して家を出たそうです。それから三年おくれて、十三歳の大山少年が同じ木見門に入門した。このとき、先輩の升田が大山に試験将棋を指しましたが、三番とも升田が勝ちました。
棋士は入門しても、先生から手をとって教えられることはなく、たがいに研究し合って強くなります。升田は新弟子の大山に毎日のように、けいこをつけましたので、大山はぐんぐん強くなりました。が、強くなると二人は昇段を争う仲となりました。兄弟弟子といっても、段が上になるためには、たがいに負けられないのです。
升田は子どものころは剣道家になるのが志望で、将棋さしになるつもりはありませんでした。兄さんが将棋が好きで無理やり相手をさせられているうちに、いつの間にか強くなってしまったそうです。大山は近所の床屋で、おとなたちが指しているのを見て将棋をおぼえました。」