「安楽椅子派」にとって頼りになるのは、まず何よりもインターネットであり、その次に本ということになるだろう。
また、”ヴァーチャル・ツア”を行うからには、地図も重要である。
もっとも、これだけだと余りにもイージー過ぎるので、ちょっとだけ専門的なツールを用いてみたい。
そこで、「登記情報」を適宜援用することとする。
これによって、昭和37年当時の、”聖地”に関する公的な情報が入手出来るかもしれないのだ。
「黒田邸」の所在地については、「全集9」p691のモデルとなった家の写真(「三島由紀夫『午後の曳航』山手町谷戸坂上の黒田邸」を参照)によれば、現在の「大佛次郎記念館」が建っている場所とみて間違いないだろう(「同時代の証言 三島由紀夫」p71:佐藤秀明先生も同旨)。
そこで、ブルーマップで「大佛次郎記念館」の地番を確認すると、「横浜市中区山手町113番」とある。
これを基に、登記情報を入手すべく、うちの近くにある法務局の出先の端末で上記地番を入力したところ、「該当する地番が存在しません」という表示が出た。
ブルーマップも完璧ではないので、こういう場合どうするかというと、地番の「範囲を選択」のボタンで、例えば、「113-1」から「113-10」を指定して、ヒットする地番があるかどうかを検索することになる。
すると、「113番1」と「113番2」がヒットしたので、この登記事項証明書を入手したところ、「113番」は2筆に分筆されて地目はいずれも「公園」となっており、昭和44年12月9日、横浜市が売買によって所有権を取得したことが分かる。
知りたいのは昭和37年当時の情報なので、電子化される前の登記情報を入手すべく、今度は横浜地方法務局(本局)に対し、当時の敷地と建物の登記簿謄本を郵便で(つまり、安楽椅子に座ったまま)申請することになる。
・・・すると、法務局(正確には法務局の事務委託先の会社)から電話がかかってきて、
「現在の建物の前に建っていた建物については、滅失建物の閉鎖登記簿の保存期間を経過したために記録が存在しないか、あるいはそもそも未登記であった可能性があります。」
という説明があった。
建物に関する閉鎖登記記録の保存期間は、閉鎖した日から三十年間とされている(不動産登記規則第28条 五号)ところ、「大佛次郎記念館」の建物が完成したのは昭和53年4月であり(大佛次郎記念館|プロジェクト)、「黒田邸」のモデルとなった家はその前に取り壊されているはずなので、滅失建物の登記簿は、保存期間経過のため現存しないのだろう。
かくなる次第で、「黒田邸」のモデルとなった家の情報としては、「全集9」の写真か、当時を知る人の証言くらいしかなさそうだ。
そうすると、家の構造、種類、面積、各部屋の位置や間取り(実はこれが一番知りたいのだが・・・)などについての正確な情報は、残念ながら入手出来ないことになる。
とはいえ、
「土地の閉鎖登記簿と、閉鎖登記用紙は残っていますので、こちらの謄本をお送りします。」
ということなので、土地に関する情報は入手出来ることになった。
一般的に、土地の所有者と建物の所有者は一致していることが多いから、土地の閉鎖登記簿謄本などから「黒田邸」のモデルとなった家の所有者を突き止めることは出来そうだ。