Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

安楽椅子派の聖地巡礼(6)

2023年10月31日 06時30分00秒 | Weblog
 「横浜市中区山手町113番」の土地 (分筆前)の、昭和44年12月19日に横浜市が購入する前の登記簿の「甲」区の記載は、大要、以下のとおりである。

1 昭和17年12月8日 英国臣民G.E.B.(注:個人名につきイニシャル表記とした)ノ為所有権ヲ登記ス
2 昭和17年12月8日 敵産管理人三菱信託株式会社ニ於テ管理スルコトヲ登記ス
3 昭和19年10月19日 東京芝浦電気株式会社ノ為売買ニ因ル所有権移転ヲ登記ス
4 昭和19年19日 管理終了ニ因ル順位2番敵産管理登記ノ抹消ヲ登記ス
5 昭和25年3月2日 英国臣民G.E.B.ノ為返還ニ因ル所有権取得ヲ登記ス
6 昭和27年4月17日 マツキンノン・マツケンジー・エンド・コムパニー・オブ・ジヤパン・リミテツドノ為売買ニ因ル所有権取得ヲ登記ス

 まず、1の時点では、英国臣民であっても日本の土地の「所有権」を取得出来るようになっていたこと(かつては「永代借地権」どまりだった。)が分かる。
 「日本國英國間永代借地制度解消ニ關スル交換公文」(1937年)によって、イギリスとの間では、永代借地制度が解消されていたのである。
 次に、1と2の登記日付が同一である点が注目される。
 これは、英国臣民の所有権登記を行った上で、2に「敵産管理」とあるように敵産管理法に基づいて敵国人の私有財産を日本(本件では三菱信託株式会社が管理業務を受託)の管理下におくことを狙ったのだろう(なので、おそらくは職権による登記ではないかと思うのだが、確証はない。)。
 なお、敵産管理法においては、「管理」だけでなく清算や処分も可能であり、本件でも3にあるとおり、「敵産」であるこの土地は(おそらく建物も)東京芝浦電気株式会社に売却されてしまった。
 その後、敗戦により山手町を含む横浜地区一帯はGHQに接収されたが、4と5にあるとおり、敵産管理法は失効したものと思われ、所有権はもとの所有者に「返還」された(それにしても、「返還」による所有権取得というのは初めて見た。)。
 そして、昭和27年4月17日、「マツキンノン・マツケンジー・エンド・コムパニー・オブ・ジヤパン・リミテツド」(長いので以下「M社」と略す。)がこの土地を購入し、昭和37年の時点でも所有していた。
 つまり、「黒田邸」のモデルとなった家の敷地の所有者はM社であり、おそらくこの会社が家も所有していたと思われる。
 このM社は、名称からして、1847年に英国人のW.マッキンノンとR.マッケンジーがインドで設立した海運会社「マッキンノン&マッケンジー商会」(Mackinnon, Mackenzie & Co Ltd)の日本法人だろう。
 もっとも、M社は現在では存在しないようで、法務局で検索しても出てこない。
 Merger Accounts - Mackinnon, Mackenzie & Company of Japan Ltd, 1964.という記事からすると、1964年にP&Oに吸収合併されたらしい。
 ともあれ、「黒田邸」のモデルとなった家は、世界を股にかける外資系の海運会社が所有していたようである。
 ある意味では、「のつぴきならない存在の環」が現前化するのにふさわしい場所であったと言えるだろう。
 なお、この”聖地”の中心は、2つの部屋で構成されている。
 「黒田邸」の正面から見て2階・左端にある部屋(母と竜二の寝室)からは海が見え、かつ、この部屋に隣接する登の部屋の覗き穴からは「海の反映」(「全集9」p227)が見えるという設定であり、これが「のつぴきならない存在の環」(私なりにもっと優しい/易しい言葉にアレンジすると、「自分と世界との一体性」)を現前化させた。
 要するに、この2つの部屋の位置・構造、そして何よりも「海」こそが、物語の設定の中核を成しているわけである。
 この点、映画(THE SAILOR WHO FELL FROM GRACE WITH THE SEA (1976)の2:25付近)でも、この描写に成功しているとは言い難い。
 オペラでは、これをどう表現するのだろうか?
 装置、照明、音声の担当者は、腕の見せ所だろう。
 
コメント
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