「こうした中で、世界中に分散されている生産拠点を自国内に回帰させたり、友好関係にある近隣の国に移転させたりする動きが起こっています。たとえば米国であれば、米国内及びカナダ、メキシコに生産拠点をシフトさせるような動きが見られます。
この流れは、「Deglobalization (脱グローバル化)」と呼ばれ、実はパンでデミック以前からその兆しが見られ、研究者や実務家のあいだで注目されていました。」(P146)
「日本の遅れは、労働供給の減少にともなう賃金調整についても懸念されるところです。米国等では賃金上昇というかたちで移行がすでに始まっているのに対して、日本ではいまのところ賃金調整は始まっていません。日本の現状からすると、人手不足で賃金が上がるのは夢物語という声も少なくありません。」(p156)
この本を読んでいて、「賃金が上がる/上がらない」という表現に違和感を抱いた。
正確には、「経営者が賃金を『上げない』」と表現すべきだからである。
渡辺先生は、消費者に対して行っているアンケ―ト調査(p182~)を、どうして経営者に対して行わなかったのだろうか?
経営者に対して、「今よりも10%需要が増えた場合、賃金は上げますか」「『上げない』と答えた方について、その理由を教えてください」などと聞いてみるとよいのではないだろうか?
この点、木庭顕先生は、日本における「内側を削る」思考・行動は、1930年代以降の「信用崩壊」によって説明すべきものと指摘している(内側を削る(4))。
だが、この現象は、(経済学を代表とする)実証主義の手法ではなかなか分析出来ないものだし、現に学問的に明らかにした研究は見当たらないようだ。
だが、「賃金を上げない」人たち、つまり経営者のメンタリティを分析することによって、いくらかは実態が明らかになるかもしれない。
その一つのヒントが、「大野耐一の鬼十訓」である。
"君はコストだ。まずムダを削れ。それなくして能力は展開できない。"
という言葉は、「内側を削る」思考・行動の代表例である。
そして、この路線を行く限り、「脱グローバル化」が成功に結び付くことは期待できないだろう。
なぜなら、この場合も国内や近隣の労働者たちを”削る”結果になるからである。