Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

「音型」と隠れたメッセージ

2024年12月16日 06時30分00秒 | Weblog
モーツァルト:《ドン・ジョヴァンニ》序曲 K.527
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488
モーツァルト:交響曲 第41番 ハ長調 K.551 <ジュピター> 
<アンコール曲>
ラファウ・ブレハッチ ソリスト・アンコール
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第2番 第3楽章
オーケストラ・アンコール
シベリウス:アンダンテ・フェスティーヴォ 

 N響初代首席指揮者:パーヴォ・ヤルヴィがドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団を率いて来日。
 ソリストにはラファウ・ブレハッチを招いての、オール・モーツァルト・プログラムの公演である。
 「ドン・ジョヴァンニ」序曲は、おそらくベルリンフィルやウィーン・フィルルの来日公演の通常編成の半分くらいの人数だが、済んだ響きを奏でており、「ちょうどよい」という印象。
 続くピアノ協奏曲23番のソリストはブレハッチ。
 ちなみに、オケは30人弱くらいの編成。
 前から10列目・左側ブロックの席なのだが、ピアノの音がやや小さく聴こえる。
 位置取りの関係もあるだろうが、ちょっと調べてみたら、ブレハッチについては「フォルテの音量が足りませんのでレパートリーが限定されるタイプのピアニストだと思います。」という指摘があるようで、合点がいった。
 つまり、彼は、「音を大きく鳴らさない」ピアニストらしいのである。
 なので、大ホールは余り向いていないということなのかもしれない。
 ただ、ピアノの選択の問題があるかもしれず、スタインウェイではなくファツィオリにしたらちょうどよかったかもしれない。
 演奏自体はまずまずといった感じで、アンコールでようやく本調子になったという印象を抱いた。
 面白いのは、1,2,3楽章を通じて「共通の音型を隠し味に密接に結び合っている」(パンフレットの小宮正安先生による解説)ところである。
 なぜかというと、この作風は、後半の「ジュピター」にも一部共通しているからである。
 つまり、「ジュピター」4楽章では、「「ドーーレーーファーーミ」という音型に基づくフーガを多用したソナタ形式が用いられ(ている)」という(同じく小宮正安先生)。 
 と言う風に、モーツァルトの作曲技法についてのおさらいのような選曲だった。
 オーケストラ・アンコールは、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。
 厳かな雰囲気の曲で、初めて聴く人はどこか北欧の国の国歌ではないかと思うのではないだろうか?
 だが、本当は「1922年にサイナトゥサロ製作所からの依頼で、その25周年記念祝賀会のための曲として書かれた」曲らしい。
 
 「ただ、このスコアで僕が最も重要と思う部分はここです。2つ上の楽譜の青枠部分です。 
 これがモーツァルト「魔笛」の第2幕の僧侶たちの合唱「おお、イシスとオシリスの神よ」のコーダに出てくる特徴的な和声連結であることは魔笛を記憶されている方ならお気づきではないでしょうか。魔笛がフリーメイソンと関係があることは証明はできませんが可能性は高いと思われます。そしてシベリウスは確実にフリーメイソンであったのです。しかも入会日がわかっていて1922年8月18日、そして Andante festivo となった曲を注文されたのは同年のクリスマス前なのです。
 しかもそれは25周年記念祝賀会のための「祝祭カンタータ」だった。モーツァルトが自作の作品目録に記した最後の作品がフリーメーソンのためのカンタータ「我らの喜びを高らかに告げよ」 (K.623)だったのにご注目ください。発注主のサイナトゥサロ製材所(Säynätsalo sawmills)がメイソンだったのではないかと想像したくなってしまいます。

 なるほど。
 モーツァルトとシベリウスにはフリーメイソンという共通点があったようだ。
 メイソンは、握手の仕方一つとってもそれと分かる仕草をしていたらしい。
 作曲家について言えば、「音型」にそれがあらわれているということなのかもしれない。

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