日曜の朝、得意のどうでもいいこと
トイレでふと考えた
トイレとは、「思考し空想の場である」
と言ったダジャレの話ではなく、案外真面目な話かもしれない話題
新撰組とアメリカの共通点
新撰組と言えば評判が悪いの、が鉄の隊規「局中法度」
一、 士道に背くまじき事
一、 局を脱するを許さず
一、 勝手に金策致すべからず
一、 勝手に訴訟取り扱うべからず
一、 私の闘争を許さず
右条々相背く候者は、切腹申し付けべく候也
この規則で(拡大解釈も含めて)多くの人が切腹、命を失う事となり
なんとなく陰惨なイメージが残る
ところが、あの時代、新撰組に入隊した人々というのは
それこそいろんな環境・立場の人達
そこでは共通の価値観や倫理観がない
そういう人たちを管理・コントロールするにはどうしたら良いか
と考えると「法による支配(管理)」が良いだろうと考えるのは無理のないこと
アメリカは移民の多い多民族国家
ここでもいろんな環境で育った人や価値観が存在する
それぞれがてんでバラバラな事を言い始めると収集がつかない
そこで、理性的な「法による統治」を選択した
ところが、残念ながら人というものは想像以上に理性的な存在ではなくて
今まで育ってきた環境で身につけた考え方を、そう簡単に捨て去ることが出来ない
そもそも理性的な法というモノ自体がある一方向での思考の結果にすぎないのではないか
というところまで遡ってしまう
結局は現実論として法によるコントロールはひどく難しいということ
(それ以外の方法があるかどうかは別の問題)
自分の拠り所を、民族とか民族が育てた文化・伝統を重視しようと
するのはどこでも見られる傾向で、移民が多いヨーロッパの国々も苦労している
つまりは、現実的に理性に基づく管理には限界があるということ
空想はまた適当にあちこちに飛んで、ジョン・レノンの「イマジン」
その中に
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
というフレーズがある
確かに想像するのは簡単だが、これは実行するのはとても難しい
(だからジョン・レノンは夢想家と言ったのかも知れないが)
これは上に上げた理由などだ
またまた話は飛んで
「100分de名著」のカントの「永久平和について」の時間では
正確な理解の仕方ではないかもしれないが
大きな一つの概念のくくりの国家(地球国家)は現実的でなく
それぞれが独自の価値観をもった存在として、お互い理解し合う
方が現実的とされている
だが、カント先生の思考の傾向がここで見られて、人はお互い
それぞれ法に従う(理性的な存在として考えたがっている)
ここのところは、ちょっとどうかな?
オルデガの「大衆の反逆」で問われているような大衆の存在が
現実には多いのではないか
およそ人間様のすることと言ったら、案外アバウトなところで判断し、
だいたいこのくらいでいいだろうと試行錯誤や経験則でやっていったほうが
間違いはなさそうな雰囲気だ
(カントは内容ではなく形式で!と述べたが、残念ながらイマイチ分からない)
とまあ、日曜の朝、何もまとまらない話を
適当に思いつくまま、連想の赴くまま、ダラダラと、、
本当はもう少し深く考えなきゃいけないかもしれないが
ところで、新撰組の土方歳三は「法による管理」の限界を知って
そこから離れた、本来持っていた人間性による管理も混じえて
行うようになった傾向がある
その意味で、新撰組時代の土方歳三ではなくて、以後の彼の生き方を
支持する人たちが多いのは分かる気がする
島田魁日記などは土方歳三の人間性がよく書かれているし、、
さて、今朝の話は、何だった?
ま、いいか