早寝早起きのおっさんは夜にテレビを見るなんてことはない
運良くいい番組がある場合は、録画してみることになるが
テレビを見続けていないとその情報を得ることは難しい
見逃した番組があった
NHK『100分de名著」
時々思い出したように気になる番組だが9月はハンナ・アーレントの「全体主義の起源」だった
しまった、見過ごした、、、
ということで早速地元の書店に出かけ本を手に入れた
全体主義の起源は3冊に分かれた大作で、しかも内容が濃い
一つのセンテンスがとても長くて、よほど集中していかないと途中で何が何だかわからなくなる
このなかで最後の一冊(3)だけをしんどい思いをして読んだ(正確には最後のページまでたどり着いた)
圧倒的に多い参考資料とそれから導かれる洞察力に満ちた考察
1ページ進むのにとても時間がかかる(まるでカラマーゾフの兄弟を読むみたいに)
読み終えたあとは、もう一度じっくり読まなければならない、、と感じる
(だが、これがなかなか出来ない ついつい別の本に手が出て、、)
「全体主義の起源」というだけに全体主義の典型であるナチス・スターリニズム・ファシズムの
成り立ちが解説されている
特に著者の関係するナチスについては、何故こんなこと(ユダヤ人の大虐殺)をしでかしてしまったのか
その時人の心を支配した思想(気分や思い)、社会の雰囲気、社会制度の変化、、
これが「哲学」という視点で語られる
ところが、「100分de名著」の この本は、何故か自分が読み終わった時と印象が違う
プロの先生の書いたことだから、うまく時系列にわかりやすくまとまっている
でも、なにか違う もっと大事なところが抜けてるような、、
よくありがちなことだが、本の内容を紹介するよりは、人(ハンナ・アーレント)の
考えの紹介しているように思えてしまった
西欧人は徹底的に思索する
淡白な日本人とすれば考えてもしょうがないような答えのない問題も延々と考える
「なんでこんなことをしでかしてしまったのか、、」
この疑問はハンナ・アーレントだけでなくエーリッヒ・フロムが「自由からの逃走」を書くきっかけにもなっている
この本には、この圧倒的な思考の深さが欠けているみたい(ページ数に制限があるから仕方ない?)
少しばかり文句をつけてしまったこの本だが、このテーマを取り上げた必然性と言うか
今の日本のなかに漂う危険な兆しに対する注意喚起は納得できる
そこで、フイに連想したのが図書館で借りて雑な読み方をしたにもかかわらず印象に残っている「天皇機関説事件」
なぜこの本を連想したのかは、天皇機関説を否定する一部の反知性主義的な人たちの勢いがいつのまにか
日本を戦争への道へ導いてしまったこと、その流れがナチスへの流れを連想したからだ
考えもなく天皇機関説を否定した人は、天皇機関説を法人格のシステムとして捉えようとした西欧の発想を
「彼らは 空論をもてあそび、、」とあっさり切り捨てる
西欧人は確かに、ある種どうでもいいこと(彼らにとっては切実な問題かもしれないが)を考える
「神が存在するのなら、何故神は悪の存在を許すのか
そもそも人間に神の意図を知ることができるのか
悪の存在はは何か意味があるはずだ、、
人間社会の悪は社会的な規則にすぎない、、、」
確かに直接生活に直結した考えではなく、この思索が日本人には有効とは思えないのも事実だ
しかし、このしつこいくらいの思考自体が、人と他の生物との大きな差を生み出し
西欧が今の世界のスタンダードをつくっているのも事実だ(サピエンス全史のもこの様なことが書かれていた)
空論をもてあそぶと言った人たちの
自分で考えることへの軽視
自分の居場所を同類の仲間うちのみに求める思考
他の文化を認めることもなく自分たちだけが優れているとするエスノセントリズム
不安な時に単純な過激なメッセージに頼り勝ちになる傾向
これこそが、二度と繰り返したくない大きな間違いへと繋がった
日本で天皇機関説事件を起こした人物は、戦後自殺した
よく考えること、自分自身の頭で考えること
答えは出なくとも、考えるという行為のなかで生まれる何かに期待すること
そうしないと、凡庸な悪にとらわれてしまう
多くの哲学書はこのことを繰り返し述べる(この全体主義の起源も)
ところで、安倍さんに仕切られているNHKが
この時期に暗に安倍さんの姿勢を批判する様な「全体主義の起源」をテーマに取り上げたというのは
良識的なNHKの職員が、頑張って紹介してくれたのかもしれない、、
と期待を込めて想像してしまったが、さて本当のところは、、、
相変わらずのまとまらない話、、